2016年02月24日

伊勢南街道その1・和歌山城→名手宿

和歌山城から伊勢へ向かいます。

IMG_7171.jpg


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

IMG_7123.jpg

和歌山の街道の起点というと京橋です。
大阪や奈良、伊勢、四国方面への道が延びています。

橋の南側は和歌山城内になるので
一般人はここからスタートです。

IMG_7129.jpg

ぶらくり丁。

和歌山市街地は町名が「町」と「丁」と混在しています。
これは江戸時代の名残で「町」は町人の居住地、
「丁」は武士の居住地だったそうです。

IMG_7131.jpg

この付近は和歌山でも一番の繁華街。
昼から夜にかけて多くの人で賑わっています。

IMG_7133.jpg

しばらく紀州街道の道筋と重複して進みます。

伊勢南街道は伊勢へと向かう道ですが
別名で大和街道や和歌山街道とも言われています。

古代においては南海道の一部にあたり、
江戸初期は紀州藩の参勤交代路としての役割もありました。
参詣道としても伊勢、高野山、西国三十三カ所、大峰山など、
街道沿いに数多くの信仰場が存在しています。

IMG_7138.jpg

嘉家作丁の交差点。
「懸け造」という独特な家々が連なっています。

IMG_7142.jpg

和歌山市街は空襲にあっているので
古い建物は少ないだけに貴重な存在です。

この付近は国道に沿って歩くわけですが
北側は一段下がっているようになっています。

IMG_7139.jpg

その理由は紀ノ川の旧堤防だった名残。
1633年の紀ノ川大水害後に築造されています。
当時はすぐ横に川が流れていたわけです。

IMG_7143.jpg

地蔵の辻。

パッと見はいたって普通の交差点ですが
市街地からの別ルートが交わる地点である上に
有名な地蔵があったので多くの人で賑わっていた場所です。

お地蔵さんは移設されてしまっていますが
少し離れたJRの高架下におられます。

IMG_7145.jpg

IMG_7146.jpg

四ヶ郷の一里塚。

市街地にも関わらず対になって残っています。
横にあった案内看板によると道幅はほぼ昔のとおりで
地盤は今より少し低かったようです。

IMG_7148.jpg

和歌山市街地も郊外になっていくと
水田が広がる光景になってきました。

IMG_7154.jpg

八軒屋宿は紀州街道との追分にあたる宿場で、
大坂へはここから渡し船で対岸へと渡っていきます。
江戸時代中期以降の参勤交代はここで渡っていました。

IMG_7156.jpg

IMG_7167.jpg

堤防上の国道を進みますが歩道がないので要注意。
千旦の交差点で旧道へと折れていきます。

IMG_7169.jpg

この付近は弧を描いた道筋になっています。

これは旧紀ノ川の自然堤防を利用したもので、
先ほどの国道の堤防道も元は自然堤防だったわけです。

この弧を描くような道筋は結構長く、
だいぶ先にある船戸の渡しまで続くことになります。

IMG_7172.jpg

IMG_7180.jpg

6月の頭は田植えのシーズン。
水田がまるで鏡のようで美しいものです。

いくつか雲があったほうが写真に映えますね。

IMG_7182.jpg

布施屋駅付近。
熊野街道と交差します。

この先には馬次の集落がありますが
名前の通り継立場があったそうです。

IMG_7190.jpg

馬次は宿場のような役割があったので
立派な古い家が点在しています。

気が付けば紫陽花の季節。
季節は目まぐるしく変わっていきます。

IMG_7194.jpg

IMG_7200.jpg

IMG_7212.jpg

ここが船戸の渡し場跡。
伊勢神宮の常夜灯と古い家のコラボがいい感じです。

IMG_7213.jpg

IMG_7224.jpg

紀ノ川にはいくつも渡し場がありましたが
伊勢南街道のメインは船戸の渡し場です。
対岸には取締りの番所が設けられていました。

IMG_7226.jpg

岩出宿。
今も良い雰囲気が所々に残っています。

規模的には大きいもので
紀州藩主の別館も置かれていたほどです。

IMG_7239.jpg

宿場内は少し複雑な道筋になっていました。

下の写真は道路の角にあった道路元標ですが
普通の路地といったところにあったので驚きました。
ここがかつてメインルートだった証ですね。

IMG_7233.jpg
岩出の道路元標

IMG_7245.jpg

IMG_7243.jpg

岩出宿の先にあった立派な道標。

右 こかわ二リ半 かうや(高野)道
左リ 祢ごろ(根来) 大坂道

岩出から先では歴史街道の標識を多く見かけますが
歴史街道的には「大和街道」と案内されています。

奈良へ行く道でもあるので間違いではないのですが
沿道にある数多くの道標には大和(奈良)と文字は殆どなく、
圧倒的に伊勢の文字が多くなっています。

そう考えると、大和街道というよりは
伊勢街道として紹介するほうが合っていると思うのですが、
こればっかりは何か考えがあってのことなのでしょう。

IMG_7254.jpg

IMG_7256.jpg

道標の先の地域は岡田嶋。
かつては紀ノ川の氾濫原でした。

井阪地区からはアップダウンが出てきて
河岸段丘の地形を使った道筋になります。

付近には条里制の時代の道の痕跡が残っていて、
この大きく弧を描く道筋もその一つだそうです。

IMG_7260.jpg

IMG_7271.jpg

IMG_7280.jpg

紀ノ川の渡し場があった付近の町並みには
賑わいを感じる家並みが続いていました。

東田中神社の前には一里塚がありました。

IMG_7288.jpg

IMG_7282.jpg

IMG_7298.jpg

左に長田観音が見えてきました。
厄除けで有名な観音さんです。

角にあった立派な道標を見てみると

IMG_7302.jpg

右 いせ かうや
左 長田厄除観音 こかわ寺へ ぬけみち

ここにも大和(奈良)の文字がないですね。

IMG_7310.jpg
アスファルトの下は石畳だったのでしょうか

松井の集落は粉河の元々の集落でした。
何かの都合で粉河寺の門前に移転してきたようですが
その辺りの詳しいことはわかりませんでした。

IMG_7311.jpg

先ほどの「こかわ寺へ ぬけみち」の道標ですが
正式な分岐点(抜け道ではないルート)はこの辺りで
山側の粉河寺を遥拝できるお堂が建っていました。

IMG_7312.jpg

その場所に立っていた道標がこちら。

こかわ いせみち

なかなか立派な自然石のものです。

IMG_7318.jpg

IMG_7327.jpg

淡路街道との追分。
四国、淡路方面の港である加太とを結ぶ道で、
ここから先は一層賑やかな道中になっていたのではと思います。

IMG_7328.jpg

常夜灯と自然石の道標がいいですね。

IMG_7329.jpg

IMG_7331.jpg

高野辻。
和歌山市街地から高野山への分岐点です。

IMG_7332.jpg

常夜灯には弘法大師永代常夜灯と書かれ、
右 かうやみち 左 いせ まきのを とも書かれてます。

「まきのを」とは西国三十三カ所の槇尾山のこと。

IMG_7333.jpg

IMG_7339.jpg

名手宿。
久しぶりに見る大きな集落です。

ここには本陣建物が残っていて見学可能でした。
無料で16:00まで中に入ることができます。

IMG_7342.jpg  

IMG_7348.jpg


   
 
posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 伊勢への街道 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック