2016年03月31日

西国街道その14・西広島駅→玖波宿

宮島を眺めながらの道中。

IMG_0122.jpg


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

IMG_0118.jpg

西広島駅からは山沿いを進んでいきます。

現在のJRと国道は海沿いなので意外ですが
江戸時代は海が迫っていて地盤が悪かったので
干拓よる平地になるまでは迂回せざるえませんでした。

IMG_0125.jpg

IMG_0129.jpg

IMG_0135.jpg
原爆の爆風に耐えた鷺森神社。この辺りも被害があった。

古江付近。「江」という地名は
かつては海沿いだった証拠ですよね。

草津にある立派な建物は小泉酒造さんです。
明治天皇が小休止されています。

IMG_0137.jpg

IMG_0152.jpg

もともと草津は間の宿の役割があって
広島湾に面する港であったことから浜田藩の船屋敷あったり、
近代においては広島牡蠣養殖の中心地になっています。

草津という地名は群馬の草津温泉や滋賀にもありますが
広島の草津も結構有名だったわけですね。

IMG_0153.jpg

IMG_0155.jpg

草津の先で江戸時代の本道と海辺近道と分けます。
本道は右折してさらに小高いほうへ。

広電建設などによって途中で分断されていますが
古い時代の味わいある道が続いていました。
一方、海辺近道は干拓以後のものとなるので
新しい時代の道らしく広くて対照的です。

IMG_0158.jpg
海辺近道

IMG_0160.jpg

IMG_0173.jpg

井口の先にある龍神山。
この山の中に街道の痕跡が残っています。

IMG_0171.jpg

IMG_0172.jpg

西国街道と書かれたモニュメント。いいですね。

今歩いている街道は山陽道、西国街道と
大きくわけて2つの呼び方があるわけですが
五街道と違って名前は藩によって違っていたそうで、
広島藩では専ら西国街道と呼ばれていました。

IMG_0176.jpg

まるで登山のような藪道。
道の脇には古い石積みが残ります。

IMG_0178.jpg
山頂への道の脇に残る旧道

龍神山は古絵図を見るに
断崖が迫る難所だったようです。

一応、海沿いに迂回路もあったのですが
潮が満ちては通れず足場が悪いということで
迂回するにも大変な場所でした。

IMG_0187.jpg
宮島が目の前に現れた

IMG_0208.jpg
賑わう五日市駅前

IMG_0213.jpg

IMG_0229.jpg

IMG_0233.jpg

五日市を過ぎると楽々園。
ここには名残の松が数本残っています。

川の様子を見ると海水が少し混ざっているように見えます。
これは海が近く昔は海だったことが影響してるのでしょう。
近くの隅の浜は塩業で賑わっていたそうです。

IMG_0238.jpg

IMG_0243.jpg

IMG_0251.jpg

廿日市宿。
由来は毎月二十日に本陣近くで市があったことから。

山の上には廿日市天満宮があります。
ここからの眺めは最高で宮島がよく見えました。

IMG_0256.jpg

IMG_0261.jpg

廿日市から先は再び山へと進路をとります。

その直前に地御前さんへの道筋と分けます。
いわゆる「地の御前道」です。

IMG_0278.jpg
ここを左に進むと地御前さん

宮島の対岸に位置する嚴島神社の外宮で
かつて厳島は上陸が許されていなかったので
地御前神社から対岸を拝んでいたとのことです。

IMG_0281.jpg

IMG_0303.jpg

山陽自動車道沿いの区間。
この先は並行する場所が多くなります。

街道は峠越えで距離を短絡して進むのが基本ですが
高速道路も高速性を生かすためにトンネルを利用して
距離を短絡して進んでいくのが基本になっています。

このような感じで似たルートを通ることから
平行する箇所では街道が犠牲(消滅)になった箇所が多く
便利さと引き換えになくしたものが多いように思います。

この四朗峠周辺もそんな感じ。
峠付近だけはかろうじて昔の道筋が残っていました。

IMG_0306.jpg
四朗峠

IMG_0311.jpg

IMG_0326.jpg

狭い山道を進んでいきます。
少し藪っているところもありました。

ここは高庭駅跡。
古代山陽道の駅家にあたります。

IMG_0334.jpg

IMG_0339.jpg

IMG_0336.jpg

実は田んぼのあぜ道のような場所もあって
本当に街道なのか?と不安があったのですが
こういう史跡があると安心しますね。

IMG_0344.jpg

その先にある高畑ため池は江戸時代のもの。
この付近の灌漑対策に一役買っています。

IMG_0353.jpg

IMG_0355.jpg

妹背の滝に寄ってみました。
雄滝と雌滝があって双方とも豪快なものです。

街道から少し離れるので寄り道した形ですが
マイナスイオンをたっぷり堪能できました。

IMG_0356.jpg

IMG_0360.jpg

IMG_0361.jpg

大野浦駅を過ぎると再び山の中へ。
坂道を上っていくと海が見え宮島も見えます。

IMG_0368.jpg

IMG_0372.jpg
宮島

IMG_0381.jpg

IMG_0386.jpg

この付近の道はかつては石畳だったそうです。
今は保存の観点から特殊なアスファルトで保護されています。

少し先には復元された石畳もありました。

IMG_0393.jpg

IMG_0407.jpg

今回のクライマックスは残念道です。

残念という変わった名前は
幕末期において間違えて味方を切ってしまった話で
霊を慰める意味で残念社という神社が作られています。

残念道はそこへ通じる道なわけですが、
幕末の話なので明治以降に名前が付いたのでしょう。

アップダウンがありハイキング感覚で進みます。

IMG_0410.jpg

IMG_0415.jpg

残念社。静かな場所です。

ここからの展望は見事なもので
「三県一望の地」と言われています。

大分県、愛媛県、山口県の三県ですね。

IMG_0421.jpg

IMG_0424.jpg

ここには吉田松陰の腰掛岩がありました。
山口に近づくにつれ松陰の史跡が多くなっていきます。

IMG_0436.jpg

長い下り坂の長坂を下っていくと
目の前に大竹のコンビナートが見えてきました。

玖波宿まであと少しというところですが
昔の街道はまたまた山へと入っていきます。
ここも安全重視で海を避けるルートを取っていたわけです。

IMG_0446.jpg

IMG_0449.jpg

IMG_0451.jpg

IMG_0459.jpg
線路に削られて道が細い

鉾の峠を越えると、
馬ためし峠を越えていきます。

馬ためし峠は早い時期にトンネルが出来たので
旧峠への道筋は少しわかりづらいものになっています。

IMG_0465.jpg
旧峠の入り口は山裾を右へ。トンネルは左へ

IMG_0466.jpg

先人達のサイトを見ても旧峠を進む人はおらず、
トンネルを迂回するしかない!と半ば諦めていたのですが
よーく見てみるとありました!江戸時代の峠!

IMG_0468.jpg

IMG_0469.jpg

急坂で蜘蛛の巣が半端なかったですが
馬ためしというだけあって相当なものでした。

IMG_0476.jpg

IMG_0479.jpg

峠を越えると玖波宿。

枡形の跡などがくっきり。
夕闇が迫る静かな空間を楽しめました。


posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 西国街道(山陽道) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
にゃおすけさん、こんにちは。

西広島から玖波までの区間を3月下旬に歩きました。
この区間は宮島が近くにあるので宮島観光を組み込んで歩きました。
宮島は20年ぶりです。世界遺産になったからか観光客がめちゃ多かった。

街道ですが、写真58の跨線橋は現在改修工事中で渡れません。確か今年7月末ぐらいには終わる予定だったとお思いますので、それまでは近くの橋で迂回する必要があります。
写真87の付近はウォーキングコースになっているためか手入れが行き届いていて現在も快適でした。
残念さんへの道や鳴川峠に新しい表示板は追加されているものの夏なら藪漕ぎは厳しそうな感じでした。
馬ためし峠はこの時期なら蜘蛛の巣もなく楽でした。
冬に歩くと快適なのでお薦めです。
Posted by mogmog at 2018年04月22日 21:00
mogmogさんおつかれさまです!
残念さんの辺りは季節によっては厳しそうですよね。
宮島も観光されて何よりです。
Posted by にゃおすけ at 2018年04月23日 09:32
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック