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朝の大和上市。
国道の交通量はかなり多いですが
1つ中に入った旧道はとても静かな雰囲気です。
古い家が軒を連ねます。


大和上市は名前に市とあるように始まりは市場町。
そして本善寺の門前町として賑わっていきます。
江戸時代になり参勤交代が始まると、
宿場町の側面も合わせもつようになります。


街道の右下を流れる吉野川。
洪水から避けるように少し高台を進みます。
上市の集落を抜けると進路は北へと変わります。


今回どこで吉野川と分かれるか悩みました。
資料が少なく航空写真で見ても実に難解でしたが
結局は大名持神社で曲がる竜門川右岸ルートにしました。


竜門文庫付近。
私設の図書館のようなものですが
ここには数多くの古書が保存されています。
吉野川沿いは平地が少なく人家密集の町。
こういう場所は火災の心配が絶えないということから
町から離れたこの地に建設された経緯があります。



徐々に勾配が出てきました。
広々とした山口神社の境内には
吉宗公が寄進した常夜灯がありました。

伊勢南街道は伊勢神宮だけでなく
松坂や遠くは江戸へと続いています。
当時の松坂は紀州藩だったので
和歌山と関係深い史跡が多く残ります。


自然石の道標に刻まれる文字。
「いせ、かうや、よしの」
小島峠を過ぎると三茶屋の集落へと入っていきます。



三茶屋は伊勢と和歌山のちょうど中間地点にあたります。
双方ともに22里。現代でいうと約88キロです。
ここは街道と街道が交わる場所で
上茶屋・中茶屋・中やの三軒の茶屋があったそうです。

ここにも立派な道標がありました。
「うた、はせ道。大峰山道。いせ道。よしの、こうやみち」
”うた”とは宇陀のことで””はせ”は長谷寺ですね。

三茶屋を過ぎると久須斯神社を右へ。
車を通すために開削された道がありますが
旧道は山の中に眠っています。


資料では消滅したように書いてあったのですが
崩落してる場所が一部あるものの路盤の状態は良く、
所々には反射棒まで残っていました。


車道に出てホッとしたのも束の間、
すぐに次なる難所が控えています。
「小名峠」です。
こちらは先ほどの道と違って現役の峠道。
植林の影響で林業の人が時折通っているおかげで
道はそれほど荒れていない状態です。


途中ガレてるような場所もありましたが
大したことはありません。
小名峠には天誅組の史跡がありました。



所々に古い石積みが残ってるあたり、
ここが旧道であったことを教えてくれます。


鷲家の宿場が見えてきました。
ここは東熊野街道と交差する場所で
宇陀と熊野を結ぶ交易の中継地でもありました。

「いせ江戸みち、はせ大坂」「小川谷河上 いせくまの道」。
この江戸の文字は数ある伊勢街道の中でも
一番西の端に位置しています。


鷲家宿の雰囲気はなかなかのものです。
宿場の中央には立派な鷲家八幡神社があり
社殿は流造、檜皮葺で1768年に修復されています。



次なる難所は木津(こづ)峠です。
峠にはトンネルが新旧2つあるわけですが
江戸時代の道は旧トンネルの直上を越えていました。



所々で崩落があるものの、
峠自体は昔のままの状態で残っています。
峠の先では関西のマッターホルンと言われる
高見山が綺麗に見えました。



しばらく旧国道を進み本日のゴールへ。
伊勢南街道はバスの便が悪いので
どう行程を組むか悩ましいところだったのですが、
ちょうど良い場所に旅館「あまご池高見山荘」があり
一泊二食付きで泊まることにしました。


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