
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

粥見神社前。
松阪への本ルートとの分岐点にあたります。
ここからは紀州藩の支城である田丸城を経由して、
伊勢本街道に入って伊勢神宮へ到達する道筋です。

道標の「さんぐう」の文字。
これはもちろん伊勢神宮のこと。
粥見集落の先で櫛田川を渡ります。
かつては船戸の渡しと呼ばれていた場所です。


雰囲気良い渡し場への下り道。
今も痕跡は残っているのですが
三重県の街道マップではスルーになっています。
自治体が設置した看板もあるのに勿体ない話です。


マップは有難いものですが所々で抜けてる箇所があるので
昔に忠実に歩きたい人は注意が必要です。


桜峠。
山越えの道ですが道路が大幅に改良されて
昔の面影がほとんどなくなってしまっています。
新道と旧道を行ったりきたり。


旧道の断面があらわになってる場所がありました。
よーく見ると江戸時代の道と思われる石積みがあります。
右下の部分がそうですね。


多気町に入ると民家が多くなってきました。
この辺りから目立つのは和歌山別街道という標識。
しばらく旧道を進むのですが
旧道自体の改良は昔から頻繁に行われていたようです。

たとえばこの石積み。
旧道と旧々道との分岐点にあったものですが
古い石積みの上に新たに積まれた形跡があります。
楽に曲がれるように作られたものなのでしょう。
このような改良が随所で見かけることができますが
それだけ重要路だったということがわかります。


五箇篠山城が見えてきました。
北畠具教が謀殺された時と本能寺の変の時に
お家再興を図る北畠具親が2度のろしを上げた城ですが
共に失敗に終わっています。


街道は城をグルッと回る形で進んでいきます。


蛇行が凄まじい櫛田川。
これでもかっ!ぐらいウネウネしています。
景色は中央構造線らしくダイナミックなもので
歩いていて実に楽しい区間です。

川沿いに並行しているのが「立梅用水」です。
これは1823年に丹生宿の灌漑対策で作られたもので
馬に乗って巡検するための立派な道も横に作られています。


丹生宿に入ります。
女人高野山丹生山神宮寺。
通称丹生大師の門前町として賑わいがありました。
宿内には古い風情が残ります。

道標には
左、よしの、かうやみち。右、いせ、さんぐうみち。
かつて江戸など遠方から来た伊勢参拝の人は
参拝後も奈良など周辺を観光して帰る人が多かったわけですが
伊勢南街道は巡礼においても大いに利用されていたと思われます。


宿場内の道筋はいたって複雑です。
現地の標識と三重県のルートマップでは若干違っています。
たとえば現地の標識では神社前へ出る道筋で案内してるところを
三重県のものは寺の山門へと一直線に進むよう案内されています。


こういう2つの説がある場所は両方歩いてみるわけですが
寺の前に下の写真の道標があったので三重県のほうが有力でしょうか。
しかし、何故ここまでルートが違ってくるのもなのでしょう。



神宮寺。
なかなか趣のあるお寺です。
階段の横にある立派な回廊は靴を脱いで入ることができました。
松阪界隈では大師道と書かれた道標がいくつもありますが
この寺の人気ぶりがわかります。



田畑の中を一直線に進みます。
山々に囲まれてここが近畿であることを忘れるぐらい
ダイナミックな景色の中を進んでいきます。
今回の旅は冬だったので寒々しかったのですが
夏は青々とした光景が広がってることでしょう。

近長谷寺(きんちょうこくじ)への分岐点。
小規模ながらも門前町が広がっています。

立派な道標には
「すぐさんぐうみち。近長谷観音道。」
大和の長谷寺に行くならば
ここも参りなさいよ的なことが書かれてあります。

近長谷寺は歴史がある寺で
さらに頂上には城跡もありました。
城からは伊勢南街道、伊勢本街道の双方が見えるので
防衛の意味で絶好の場所。見晴らしもいいみたいです。
ここからしばらくは山道を進みます。
山道といっても整備された道で平坦なものです。


右いせ道、左あふか道。
左は相可の集落への道で伊勢本街道と合流しています。
集落には日の丸を掲げる家々があるなど
古き良き時代を感じる光景が広がっていました。


佐奈駅付近で驚いたのは車両のカットボディ。
色はキハ58だけど形はキハ48。
JRマークの位置は不自然で見ればみるほどおかしい。
なんじゃこりゃー!
これを見つけた場所は道路から少し入った場所なので
自転車や車では気付かずに通り過ぎていたと思うのですが
ゆっくり見て回れる街道歩きでよかったと思った瞬間です。
正体はTwitterなど聞いてみたものの結局はわからず。
ご存知の方はお教えください。


佐奈を過ぎると集落毎に旧道が入り組んでいます。


やがて熊野街道と合流すると野中集落です。
追分には道標がありました。
「右、かうや よしの みち。左、さいこく道。

永昌寺は参勤交代のおりで殿様に無礼をした人を
命乞いも叶わず首をはねられたので供養仏が残っています。


熊野街道と重複する区間を経て田丸城下へ。
ほぼ県道に沿って進んでいきます。
冬の街道歩きは日暮れとの戦いです。
16時には薄暗くなってくるので自然と早足になります。

左前方に田丸城が見えてきました。
張りぼてで作られた天守閣があるのですが
夜はライトアップをしていて意外といけるもんです。
城下に入るとクランク状の道筋が続きます。


ゴール地点には立派な道標。
右に曲がると伊勢本街道。左は田丸城です。
実に立派な紀州街道の文字に萌えました。
【カテゴリ:伊勢への街道の関連記事】


亀岡街道の記事を見て、先週末に亀岡駅〜余野〜茨木〜高麗橋のコースを走ってきました。
地図付きの案内は素晴らしいです。
道は今もいい雰囲気で感心しています。
亀岡から大阪へは、このコースの東側の桜峠、東別院、清阪峠、忍頂寺、福井のコースを走ったことがあるのですが、今回のコースは新鮮でした。
このコースはどうやって見つけたのでしょうか、自由に設定したのでしょうか。お手数ですが教えて下さい。
森塚さんはじめまして。
歩いたのは4年も前ですので記憶が曖昧ですが、
先人の方々のサイトや本などを参考にしていたと思います。
ルート自体は古地図や航空写真も使って調べているので
自由きままにといったものではありません。
大阪から亀岡へと続く道は複数存在しています。
紹介した亀岡街道はその中の1ルートの存在にすぎないので
そのあたりご理解いただければ幸いです。
コメントありがとうございます。