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真冬の山陽地方は山陰と違って
晴れの日が多くて歩くには良い気候です。
ただし日が短いので長距離歩きの計画は難しく、
今回は厚狭から先の交通の便を考慮して
いつもより短い行程になりました。

国道より一つ中に入った場所にある旧道。
家の裏手は何気ない生活道路に見えるのですが
実は「吉見市」という市があった場所。

ゆえに厚東駅周辺の中心地だったわけですが
かつての面影はほとんど残っていません。
吉見市と書かれた石標は嬉しいですね。

新幹線の高架をくぐって旧道を進みます。
見晴らし良好!
空気が澄んでいるのて遠くまで見えます。



農道のような道を過ぎると藪が酷い状態でした。
左の国道に合流しないといけないのですが
小川があって橋がなく渡ることができません。
写真で見ても結構な谷です。


廃道を進んでいくと徒渡りできる場所があったので
なんとか対岸に渡ることができました。
この先は車道を歩いていくわけですが
さすがは国道2号線だけあって交通量がスゴイ。


昔は上のような感じだったのでしょうが
歩道がない国道は現代の難所といえます。
やがて吉見峠。
ここまで結構な山間を通ってきたのですが
意外なことに標高は90m程しかありません。



船木宿。
入口に岡崎八幡宮の大きな鳥居が立ちます。
もともとは群の中心地だったのですが
鉄道が宇部を経由したことで求心力が低下して
明治以降の中心は厚狭へと移ってしまっています。


船木は江戸時代の初期から石炭が採掘されて
宿場としても「代官所」「お茶屋」があって重要な場所でした。
駅馬は15頭と人足は十数人が用意されていました。


船木の由来は大木森住吉宮から。
神功皇后が軍船を作るためにここの楠を切られたとのこと。
宮前の大きな常夜灯が実に印象的でした。



銭ケ原交差点の先にある旧道の痕跡。
一見すると田んぼの畦道に見えるのですが
畦道にしては妙に広くて路盤がしっかりしています。
草道として残ってるのはポイント高いですね。


先にある旧道に石畳が残っていました。
千林尼が托鉢によって集めた浄財で作られたそうです。
昔の写真を見ると一面に敷かれてるのですが
大部分がアスファルトの下に埋められてしまっています。



さらに旧道を進んで西見峠。
埴生田堤沿いに進むと厚狭の町に入ります。
なかなか静かな家並みです。



厚狭駅前でゴールとしました。
付近は整然とした区画になっていますが
これは条里制の遺構なんだそうです。
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厚東から厚狭までの区間を4月下旬に歩きました。
写真19の付近は先人達のおかげでなんとなく踏み跡らしきものができており、
比較的楽に国道まで復帰できました。
この場所は雨の時には横断困難になる可能性があるかな。
写真26の付近に限らず歩道がない区間は本当におちおち歩けないですね。
写真36の船木は良い雰囲気がありますね。現在の宇部の中心部は宇部駅よりももっと南の宇部新川駅付近になります。
市街化あまりなかったので良い雰囲気が残っているのでしょう。
写真50から51の区間は私が歩く前数日間はれていましたが、やはり湿地の中を歩いているような感じでした。水はけが悪くなってしまったのかもしれません。
写真69の橋はきれいに架け替えられていました。
国道の区間は車優先という場所が多いのはツライですよね。
それが一桁国道ともなると大型車も多いですし怖いですね。
こういう場所ほど歩道もちゃんと整備して欲しいところですが
今の車社会では難しいところなんでしょうね。