京都→下関間を20日かかりました。
感想を一言で言い表すとすれば
「西へ行くほど面白い!」これに尽きます。

西国街道は東海道のような五街道ではないものの
江戸と長崎を結ぶ幹線道路の一角になっていたので
五街道に次ぐ重要な脇街道に位置づけられていました。
また、船運が発達するまでは大幹線としての時代があったので
歴史が非常に古いという一面がある街道です。
このように重要な位置づけの街道だったからこそ
出来るだけ昔に忠実に歩きたい!という思いがあったわけですが
どのように計画をし踏破していったか感想など紹介していきます。

まず西国街道を歩くにあたって悩んだのは
自治体によって様々な「西国街道」という名称。
広島県、京都府、大阪府、兵庫県は西国街道を推していて
岡山県と山口県は旧山陽道と推すのが一般的でした。
岡山県で旧山陽道と呼ぶのは理由があるそうです。
現国道2号である新西国街道が鴨方往来のルートを通っているので
本来の西国街道とは全く別の場所を通っていることから
区別するために旧山陽道を用いてるという話があります。
西国街道の全体を見まわしてみても
京→西宮は山崎通と称されたり(分間延絵図があります)
大阪からの道を含めて中国街道と称されたりと様々です。
またスタート(東寺or西宮)、ゴール(亀山八幡宮or永福寺)が
資料によっていろんな説が存在しています。
このように名称一つとっても各地で複雑なので
一般的に通用している西国街道として歩くことにしました。

次に悩んだのは歩くルートについてです。
五街道の東海道などと比べると資料は少な目ですが
歩いてる方が結構いるもので先人の情報は参考になりました。
文献としては太陽コレクション山陽道にある中国行程記、
航空写真、古地図、分間延絵図など参考にしました。
ただ、これだけ様々な資料があると
資料によって道筋が違う場合があるのは逆に悩むところで
例えば明治道のはずなのに江戸時代の道と記載がある場合は
戦後すぐに撮られた航空写真や明治の地図で修正を重ねました。
この作業は結構な手間ですが歩く際の達成感は格別なものがあります。
下調べで不明な点が残った場合は現地に行ってからのお楽しみ。
現地調査でも謎が残る場合は気になる道を両方歩いたりしました。

次に悩んだのは交通手段です。
幸いにして西国街道は新幹線など交通に恵まれています。
京都から兵庫県内に関しては特に問題ないのですが、
それ以西は峠を避けるように鉄道が敷かれている場合があるので
うまく行程を組み合わせていく必要があります。
例えば19日目は10キロ程度の行程になったのですが
今思えば岡山県内からは先を見据えて計画を立てていれば
こういう極端に短い行程にならなかったのかなと思います。
最初に書いた「西に行くほど面白い!」ですが
行程を考える際のパズル的な意味合いもありました。

さて、感想について書いていきます。
西国街道は大きくわけて3区間に分かれていると思います。
・京都→兵庫県内の市街地&平坦な区間。
・岡山県内→広島県東部の起伏と平坦を織り交ぜたバラエティある区間。
・広島県→山口県の峠、山越えなどが続くハードな区間。
このように西に行けば行くほど大変になっていきます。
その分、多くの昔の風情が残っているといえるわけですが
広島県あたりから廃道が多くなって攻略に手こずる場所がありました。
これまで東海道など東に向けての街道を歩いてきましたが
今回が西へ向かって街道を歩くのは初めてだったので
石仏一つにしても雰囲気が違っていたり瓦の色合いや建物など
東に向かうのとは一味違った新鮮さがありました。
この新鮮さこそ西国街道の魅力かなと思います。

一番大変だった場所というと松子山峠です。
通った季節が春だったので思っていたよりは楽でしたが
三原−八本松の長距離な上に藪漕ぎ多数という行程は
西国街道歩きのクライマックスだったかもしれません。
一番感動した場所は下関直前にある山越えでした。
広島県内においても九州の山を見ることができるのですが
関門海峡大橋と九州の山々がパッと視界に現れた瞬間は
ゴールまで残り僅かということもあって感慨深かったです。
あと、吉備路の国分寺付近もよかったです。
現在の交通のメインである国道2号から離れているおかげで
良い意味で開発に取り残された懐かしい光景がありました。

以上、感想などを書いてみましたが
どっちから歩くのがオススメか?と聞かれた場合は
東から西に向かうほうが良いと答えると思います。
大阪に住んでる分にとっては
岡山まではどんな風情かなんとなく想像が出来るのですが
その先はというと未知な部分があります。
お楽しみを先にもっていくか後にもっていくかの違いですが
後のほうがモチベーション的にも良さそうです。
ただし、西に向かうとすると西日が強烈です。
疲れてる時に顔面に西日は結構つらいものがありました。
では、Enjoy!西国街道!
【カテゴリ:西国街道(山陽道)の関連記事】
僕も街道歩きが大好きで、今週末から西国街道(山陽道)を歩こうと思ってまして、いろいろ調べている際にこちらのHPに辿りつきました。
はっきりいって、にゃおすけさんは相当凄いです(笑
街道を歩いている他の方のHP等も拝見していますが、ここまで昔の街道にこだわっている方はほとんどいないように思います。
僕もできるだけ江戸時代の道に忠実に歩きたいので、にゃおすけさんのHPは非常に参考になります。
あと疑わしい道は両方通るとか、僕と同じことをされていてちょっと笑いました。
今まで僕が歩いた街道は、以下になります。
今後もいろいろ情報交換、というより教わることが多いかと思いますがよろしくお願いします。
<五街道>
*東海道
*中山道
*奥州街道(三厩まで+竜飛岬まで)
*日光街道
*甲州街道
<脇街道・脇往還>
*水戸街道
*旧水戸街道(布川街道)
*川越街道
*成田(佐倉)街道
*伊勢参宮街道
*伊勢別街道
*日光御成道
*日光御廻り道
*西浦賀道
*結城街道
街道歩きを楽しむ人でも色々ジャンルがあるわけですが
同じ匂いがしてなんだか嬉しいかぎりです。
TwitterなどSNSはされてますか?
されてましたらフォローさせてもらいますー。
早速のご返事ありがとうございます。
そうですね、いろいろな楽しみ方があると思うのですが、にゃおすけさんも書かれていたと思いますが、ただ紹介されている道を歩くだけでなく、地形図等も眺めながら本来の道はこっちじゃないのかなんて仮説を立てながらそれを検証していく作業も楽しかったりしますよね。宝探しや推理小説みたいで(笑
Twitter はアカウントはありますが、ほとんどROMです。街道を歩いた時は主にFBに投稿してます。
そちらでも宜しければ!
僕のスタンスも同じ感じですね。
ルート作りでお腹いっぱいになることもありますw
また何かありましたら情報交換しましょう!
Twitterはフォローしてもらえましたら
押し返しフォローさせてもらいます〜
それで早速1点ご質問なのですが、西国街道の大物駅から尼崎城手前辺りなんですが、にゃおすけさんは国道43号沿いを歩かれているかと思いますが、人によってはもう少し南に下って東本町から築地辺りを迂回するルートを取っている人もいます。
にゃおすけさんがご紹介されている、今昔マップで確認してもこの辺は城下町で道がたくさんあるのでよく分からないんですが、もし何か情報ありましたらお教え頂ければ助かります。
よろしくお願い致します。
そこのところは少し南に下がった場所が正解です。
たしか国道43号部分は城内か堀になっていたと思います。
僕の場合は歩いた後に気づいた件なのでよく覚えてますわ(^^;
早速ありがとうございます。
助かります。
そういえば、西宮宿入り口辺りの間違えた道を歩き直されたりしてますが、僕も同じことよくやります(笑
ということで、にゃおすけさんの影響を受けまして、僕も東寺スタートではなく少し早起きして東海道・中山道と繋げるべく三条大橋スタートにしようと決めました!
ツイッターの方も先ほどフォローさせて頂きました。アメフトのアイコンです。
今後ともよろしくお願いします。
それでお言葉に甘えて、今回の行程の中でもう1点だけ教えて頂けますでしょうか。
西宮宿に入る手前の西宮中央運動公園の辺りですが、今昔マップを見ながら現在の道と照合すると、広田町辺りから斜めに川に向かって南下していき、運動公園のだいぶ南で青木町の方へ曲がってきて南下してくるような気がしています。
つまり現在西宮中央運動公園になっている辺りには入らないような気がしています。
もし何か見落とし等あるようでしたらご指摘、ご教授頂けると助かります。
度々申し訳ありませんがよろしくお願いします。
ご指摘のところですが
今昔マップは江戸時代の道が載ってるかというと
100%そうではないのは実に悩ましいところです。
広田町から川沿いに南下する道は
おそらくですが明治に出来た新道だと思います。
広田の集落内は狭く通行しずらかったのでしょう。
また、市民陸上競技場の北に道標があったことや
西宮宿成立以前は道標から先真っすぐ西に伸びてたことも
考える上での判断材料になるかなと思います。
ご回答ありがとうございます。
なるほどそういうことですね。
確かに江戸時代の地図ではないですもんね。
前に迅速図とか分間延絵図を見ながら江戸時代の道を推定されている方もいらっしゃったのですが、五街道と違って山陽道(西国街道)はそういうのもないんでしょうかね。
でも今回はにゃおすけさんのおかげでかなり助かりました。
明日からの山陽道(西国街道)歩き楽しんできたいと思います。
いろいろとありがとうございました!