2016年08月01日

北国街道その13・市振宿→能生宿

いよいよ難所の親不知を越えていきます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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雨がパラつく市振宿。

ひっそりとした雰囲気ですが
かつては国境の町でした。

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中ほどにある関所の跡には
大きな木と広大な敷地に面影が残ります。

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”海道の松”
かなりの大きさでひときわ目立つ存在です。

江戸時代は海道の松から先は
海岸の砂浜へ降りて波打ち際を進んでいました。

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現在の海岸沿いはこんな感じ。

この付近は比較的砂浜が残ってる感じですが
浸食によって一部通行不能になってしまっています。

ちなみに40年ほど前までは歩いていけたそうです。

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そういうことで国道で迂回して進みました。

が!迂回といえども国道には大型車が多く、
しかも、歩道がないので恐る恐る進むほかありません。
おまけに薄暗い洞門になってるので怖さも倍増です。

これでも歩いた日がお盆だったので
大型車の交通量が少な目なのかもしれませんが
どちらにしても2度と歩きたくない区間です。

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このように親不知は昔も今の時代も
北国街道随一の難所といった感じなのですが
う回路として「上路」といわれる山側への道が存在していました。

境宿より川沿いを上っていって青海宿の手前で合流する道ですが
距離は長いし山は険しいわで相当大変な区間だったようです。
明治天皇の1度目の北陸行幸では安全を考え上路を経由されています。

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親不知の中でも最も険しい場所は「天険」です。

現在の国道ルートは明治時代に出来たものですが
近年の道路改良でトンネルやショートカットが増えて、
以前に比べると随分と通りやすくなってきています。

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如砥如矢(とのごとく、やのごとし)と刻まれているのは
砥石のように滑らかに矢のように速く通れるという意味で
完成したときの喜びが伝わってくるかのようです。

工事は相当大変だったようですが
明治天皇の2回目の北陸行幸に間に合いました。

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休憩所にあった親不知のジオラマを見てみましょう。

江戸時代は砂浜の上を進んでいて
荒波は所々に見える岩の隙間に入って回避していました。

まさに命がけだったことがわかります。

参勤交代では波除け人足(500〜700人規模)を雇って
波打ち際に立たせて比較的安全を保ったようですが
加賀の殿様とて命がけには変わりはなかったそうです。

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天険からの展望。
よくもまあこういう場所を街道を通したものだと感心します。
ここは北アルプス飛騨山脈の北側の出口。凄い地形です。

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ちなみに旧北陸本線のルートは
国道と海の間をへばりつく形で通っていました。
嵐の時の乗客はどんな気持ちで乗っていたのでしょうか。

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いくつもの洞門を抜けると外波宿が見えてきました。
親不知はここを境にして子不知になります。

外波宿の近くに歌宿がありますが、
2つで1つの宿場機能を持つ合宿になっていて、
決まった日にちごとに分担していました。

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ここに来て晴れてきたので
洞門の隙間から綺麗な海が見えてきました。

次の宿場は青海宿。

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ここまで旧道が殆ど残っていなかったのですが
この先しばらくは旧道をのんびり進みます。

アップダウンがあったり
名残の松があったりと良い風情です。

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次の糸魚川宿の手前には姫川があります。

翡翠(ひすい)が取れることで有名で
この日も採取してる人を見かけました。

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姫川橋は中ほどでトラスとコンクリ橋と造りが違っています。
おそらく増水によって橋が流された影響なのでしょう。

やがて姫川港を過ぎると糸魚川宿に入ります。

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ここが有名な千国街道(塩の道)との分岐点。
姫川沿いに松本へと伸びている街道です。

道路元標が角に設置されていました。

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雪国に多い雁木造りの家々。
いわゆる雪国アーケードですが
特に新潟県内で多く見かけることができます。

このアーケードは雪を防ぐだけの意味意外にも
風や雨、日差しまでも防ぐことができる代物。
雪国の知恵はオールマイティですね。

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糸魚川宿の本陣跡は酒屋さんです(試飲Ok)。
店先には参勤交代資料の展示もありました。

本陣の先には枡形が残り
右手には北陸新幹線の駅があります。
それにしても立派な駅になったものです。

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旧道が続きます。
梶屋敷宿の横を流れる早川は
芭蕉が着物を濡らしたという話があります。

当時は川を歩いて渡っていたので
足を滑らせてしまったみたいです。

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相変わらず交通量が多い中の国道歩き。
浦本駅を過ぎた辺りから自転車道が平行します。
これは旧北陸本線を整備したものです。

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一見すると旧道のように見えるので
街道か非常に紛らわしいのですが直江津手前まで続きます。

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鬼伏や鬼舞といった変わった地名を過ぎると能生宿。

能生というとテレマークスキーの聖地でもある
シャルマン火打スキー場があリ度々通っていたんですが
歩いて能生までこれたとは実に感慨深いところです。


  
posted by にゃおすけ at 15:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 北国街道(北陸道) | 更新情報をチェックする
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