2016年08月09日

北国街道その14・能生宿→高田城下

海沿いの区間が続きます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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能生宿の朝。

朝日に照らされた家々は美しいもので
早起きしてよかったと思うひとときです。

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宿場の端には白山神社がまつられています。

北陸地方は白山や立山といった山岳信仰が盛んですが
行く先々で関係するものを見かけることができます。
この立派な本殿は室町時代のものでした。

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弁天島から能生宿を一望。

島の周りに見られる岩礁の地形は
100万年前の海底火山活動で生まれたもので
能生の独特な景観になっています。

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能生漁港はカニ漁で有名です。

全国的な知名度はさほどないように思うのですが
県内では安い!ということで知名度がことのほか高く
スキーの時に通った際は多くの人出で賑わっていました。

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夏は海水浴のシーズン。

しばらく街道は海沿いを進んでいきます。
綺麗な砂浜では泳いでる人をあちこちで見ることができました。

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その途中にある藤崎は比較的大きな集落で
明治天皇も小休止されています。

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藤崎集落の次は筒石集落になるわけですが
かつて国鉄の駅は集落と集落の間に設置されました。

なぜに何もないところに作ったのか。

集落毎に駅を作ってしまうと駅間が短くなりすぎて
北陸本線の速達性が損ってしまうからということで
喧嘩にならないよう真ん中に設置したのが真相のようです。

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現在の筒石駅はトンネル駅で有名ですが、
SL時代の筒石駅は元々土砂崩れがあった場所に作られたことから
大雨の際に路盤が流れるなど何度か災害に見舞われています。

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こちらが筒石の集落。
三階建ての独特な建物がひしめいています。

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他に筒石は「船小屋」があるのが特長的です。
いわば船のガレージみたいなものですが
兵庫県の伊根にも似た雰囲気があります。

それにしても海が綺麗ですね。

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旧北陸本線と平行する区間が延々と続きますが
遺構を眺めてると単調な歩きも楽しいものでした。

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これはレンガ造りの橋脚の土台です。
造りに重厚さを感じれていいですよね。
この上をSLが走っていたと思うと胸熱です。

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名立宿。
本陣は名立寺というお寺でした。

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現在の名立は道の駅もあって賑わっていますが
江戸時代は高田地震の影響で壊滅的被害を受けています。

いわゆる名立崩れというもので
裏山が山体崩壊して村を全部飲み込まれてしまっています。

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上の写真の鐘は地震から行方不明だったものですが
海から鐘の音が毎日のように聞こえたことから
探したところ奇跡的に見つかったという話があります。

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名立宿からは山へと進路を変えていきます。
勾配を登っていくうち名立宿の全景が見えてきました。

崩壊したのは左手に見える山で
ごっそりえぐられているのが確認できます。

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草道へと入っていきます。
農地改良によって一部消滅した形ですが
入り口は大したことがないように見えても
奥に入っていくにつれ藪が酷くなっていきます。

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夏なので激藪な場所もあったのですが
路盤はしっかりしていたのでなんとか行けたものの
GPSを頼りに歩かないと迷いそうでした。

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お堂の右奥が藪の出口

藪の出口で大きなお堂が見えたとき
ホッとしたのが正直な気持ちです。

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次の集落までは街道らしい光景が続きます。

抜け道で使う車はない上に人も来ないような場所で
特に乳母嶽神社や明治天皇小休止跡あたりは
時間が止まってるかのような空間でした。

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人家が見えるようになってからは
元々は直登だった道を改良した箇所が増えていきます。

これは車が通りやすいようにヘアピンにしたもので
勾配が緩くなった代わりに少し大回りになっています。

直登していたと思われる場所をよーく見てみると
かつての道の痕跡を確認することができました。

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明治天皇小休止跡

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この九十九おりになってる道筋なんて
昔ながらといった感じですよね。

峠付近ではお地蔵さんがまつられていました。

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有間川宿。
静かな漁村といった光景です。

この宿場の前後区間は迂回路を使ったのですが
元々の旧道は探せば残っているらしいですが
相当な藪を覚悟したほうがいいかもしれません。
(道筋は昭和40年代の空中写真でなんとなくわかります)

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昔は橋の先の森の中を進んでいたと思われます

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迂回には旧北陸本線の線路跡を一部使いました。

長浜宿は駅名でいうところの谷浜駅にあたるのですが
宿の名前が滋賀の長浜宿と一緒になってるので
ちょっとややこしいですよね。

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地名に浜と付くほどなので浜自体は相当に広いもので
古くから製塩業が盛んだったということです。

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次はいよいよ直江津の町。

長浜宿までの旧北陸本線の線路跡はというと
元々あった街道の横に通した場所が多くて
国道は旧街道部分を拡幅していっています。

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対してこの先の区間は現国道が線路跡の上を通していることから
元々の街道の道筋はそのまま残っているのは有り難いところで
この狭い道が北国街道というわけです。

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左下の広くなっている場所が郷津駅の跡。
トンネルが開通した際のルート変更で閉鎖になった駅です。

一般的には代替駅が別の場所に設置されるものですが
代替は設置されず付近には民家が全くないので
信号場的な役割が主目的だったのかもしれませんね。

ただ、海水浴場が近いので
夏は賑わっていたものと想像が膨らみます。

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その海水浴場の脇を横目に見て進んでいくと
木浦集落から親鸞聖人が舟で上陸した場所に辿りつきます。

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ここでようやく海と分かれて内陸部へ。
政庁だった五智国分寺に立つ三重塔は立派なものでした。

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名残の松。
この付近では北国街道の名称は
加賀街道と呼ぶのが一般的なようです。

この先の道筋ですが
奥州(新潟)方面へは川を渡っていけば近いのですが
策略で高田城下経由するように大きく迂回させられています。

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これはわざわざ城下を経由させることによって
高田城下の発展を期待したというのが大きな理由です。

旅人にとってはいい迷惑な話ですが
高田城下が出来るまでは川には渡しがあって
迂回などせず奥州方面へ行けたのだそうです。

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道標にある「今町」とは
現在の直江津(駅付近)のこと。

高田城下が近くなってきました。
雁木造りの特長ある家々が増えてきます。

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家々の軒先には風鈴が飾ってあって
なんともいえない良い風情があります。

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新潟方面への北国(奥州)街道はここが追分。

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「かがみち、おうしゅうみち。」

なかなか立派なものです。
道標はは近くの神社に移設されていました。

次は妙高高原へと歩みを進めていきます。

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posted by にゃおすけ at 14:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 北国街道(北陸道) | 更新情報をチェックする
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