淡路島、四国と関係のある和歌山県北部の街道です。

↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

和歌山市は西ノ庄。
放射冷却の影響でかなり寒い朝でした。
淡路街道は大和、紀伊北部から紀ノ川沿いに
四国と淡路島の拠点である加太港とを結んでいます。
このルートは古代の南海道の道筋にもあたり
地方街道ながら重要な役割を担う街道でもありました。
加太〜西ノ庄の間は前に淡嶋道として歩いているので
今回は東の粉河へと向かっています


木ノ本八幡宮の大きな鳥居。
近隣の氏神様で拝殿は山の中腹にあります。
山向こうは大阪府(和泉)になるわけですが
県境の山には街道が幾重にも通っています。

その代表的なのが紀州街道であり孝子越街道であり、
どのルートもそれぞれ特徴があります。
淡路街道はそれら街道の紀伊側の拠点を結ぶ道筋なので
交点ではある程度の賑わいがあったのではと思います。

木ノ本付近は現在の県道よりも
少し北側にある旧道を通っています。
一見、狭い路地といった感じなのですが
明治の早い段階で新道が作られたおかげで
古い時代のものがそのまま残っています。

大きなお堂がありました。
手前に道標もあります。
左、加太。右、根来。


梅谷交差点で孝子越街道と交差します。
淡路街道と孝子越街道は200mほど重複して進んでいきますが
再び分かれる地点は資料によってまちまちで悩むところです。
今回は歴史の道調査報告書を参考にしているのですが
それによると本来の分岐点は用水路の改良によって
消滅してしまっているではと考えられているようです。

孝子越街道というと大阪と和歌山のメインルートの一つ。
本来なら道標や常夜灯があっても良さそうです。
左手に紀泉の山々を見ながら進んでいきます。

平井峠が見えてきました。
孝子越えが整備される前は平井峠越えがメインだったようで
孝子観音あたりに抜けることができます。
ただし、現在は国道バイパス工事の最中なので
平井峠を越えるのは困難なようです。


六十谷駅付近。
こちらも道路の拡幅工事の真っ最中。
先ほどの国道バイパスの工事もそうなのですが
和歌山県では近く開かれる国体に向けて
道路工事があちこちで行われています。

幸い淡路街道に関しては道の消滅は少ないようですが
開発が進むにつれ幾ばくか影響が出るかもしれません。
旧道は新道と行ったり来たり。
交差を繰り返しつつ進んでいきます。



やがて紀伊駅付近。
ここは昭和的な風情があって良いのですが
いかんせん車の量が多すぎます。
狭い路地に車が集中して
年中渋滞してるイメージです。


駅付近は昔ながらの県道ですが
少し進むと元々の旧道は県道から離れます。
旧道は路地といった風情。
祠があり火の見櫓が立っていました。

かつてはこの旧道がメインだったわけですが
交通量が多くなったので現在の県道が出来た経緯があります。
しかしながら、その県道も今や狭さは否めません。
さらなるバイパスが必要になってくるでしょうね。

山口神社付近。
この付近は熊野街道と一部重複しているので
案内看板を頼りに散策されてる方をお見かけしました。


道標が2本。
1本は墓の敷地に移設されたもので
もう1本は道路の下に半分埋もれてしまっています。
おそらくは「ねごろ」と書かれているのでしょう。

根来といえば根来寺で有名ですね。
戦国時代は僧兵を有する巨大な拠点だったそうです。
その根来地区を淡路街道は通って行きます。


かだ、いずみの文字がある道標。
この付近になると長閑な光景が広がってきます。
田畑が多くなり農作業風景を楽しめました。


関西では珍しい双体道祖神。
小さな祠に石仏がひしめき合っています。
おそらくは道路拡張時に
移設され集められたものとは思いますが
今もこうやって残ってるのを見ると嬉しくなります。

静かな一本道が続きます。
人も車もめったに出会いません。
ある程度大きな集落が続いているずなのですが
ここまで何も出会わないのは不思議な感覚でした。


粉河が近くになるとスタートの西ノ庄からは
標高が100m以上高くなっています。
全般的に起伏がある道筋になってきて
所々に大きな溜め池が増えてきました。



粉河は西国三十三カ所の粉河寺がある集落。
街道沿いは宿などがあり賑わっていたようです。
粉河で貝塚からの粉河街道と合流します。


今回のゴールは集落の外れにある
大和街道(和歌山)との追分です。
立派な道標と常夜灯がありました。


ここから先は大和や遠く伊勢へと続いています。
【カテゴリ:大阪近辺の街道の関連記事】