2017年01月19日

熊野古道紀伊路その7・湯浅→御坊

熊野古道で現存している
最長の石畳を楽しめる区間です。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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湯浅駅近くのJR線をくぐると
昭和の雰囲気が残っていました。

「すぐ勝楽寺」の道標。指差しがいい感じ。
湯浅は古い町だけあって寺が多いですね。

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紀伊國屋文左衛門の碑。

紀州みかんや塩鮭で富を築いた話で有名なのですが
不明な点が多くて架空の人物とする説があるそうです。

久米崎王子跡を過ぎると広川沿いを進みます。

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ゆったりした流れです。

広川インターの手前で川を渡りますが、
この場所で川を渡るのは江戸時代に入ってからのことで
古来の熊野古道はそのまま左岸を進んでいました。

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その証拠となるのが津兼王子の場所。

高速道路の工事で周辺が変わってしまってますが
場所的には広川インターの中でだいたい合っています。

ここが古来からの道筋にあたるところで
ルート付け替え後の新道には新しく王子が作られています。

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井関から河瀬にかけては宿場の役割がありました。
かつては旅籠が何軒も並んでいたそうです。

集落の入り口には絵図が飾ってあったのですが
井関の住民が幕末の頃を思い起こして後年に描かれたものです。

下の絵は先ほど広川を渡った場所の様子。

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幕末なのでルート付け替え後になります。
右手に木が数本植わってる場所が一里塚の跡で、
その近くに新しい王子があったといわれています。

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河瀬王子の手前で再び広川を渡ります。

絵図には土橋が描かれていて
右のこんもりした森が河瀬王子にあたります。

橋のたもとには供養型の道標。
天保の大飢饉の折に立てられたものです。

右、いせ、かうや道。

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もう一つ自然石の道標もありました。

紀三井寺とは西国2番の札所。
熊野古道紀伊路は1番札所である青岸渡寺から続いている
西国三十三か所参りの巡礼道の一面もありました。

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巨石が残る河瀬王子跡。

祠も何もない状態なのですが
雰囲気的に何かを感じる場所でした。

王子は江戸時代の一里塚と同じく
休憩する目印の役割もあったといいますが
ここは休憩するにうってつけで涼かったです。

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今回の難所は鹿ケ瀬峠。

峠の入り口にあるのが地蔵寺です。
ご本尊様は汗かき地蔵とも呼ばれているのですが
険しい峠道を旅人の後ろから背中を押して手伝っていたので
汗をかいたという話が残っています。

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街道マップにない本来の旧道入り口がこちら。

案内看板が倒れてしまっています。
この先は崩れてしまっているので廃道になる運命なのでしょうか。

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イノシシ除けの門をくぐると草道が続きます。

草が足にまとわりつくほどのものなので
雨が降って水分を含んでいたら大変でしょうね。

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大峠(鹿ケ瀬峠)の手前にあったお地蔵さんは
下半身の病気に霊験があると言われています。

お地蔵さんが立っていた場所ですが
明らかに旧道の雰囲気が残る切通しになっています。
これが元々の本道である可能性が高いように思いますが、
先のほうで崩れてしまっています。

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紀伊山地は雨が多い地域で土砂崩れも多い場所です。
ここも何かしらの理由でルートが付け替えられたのでしょう。

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大峠(鹿ケ瀬峠)の展望はよくありません。

ちょっとした広場になっていて
元々は茶屋が数軒あったので平坦です。
周りを見てみると立派な石積みが残っていました。

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小峠は大峠と違って若干眺望がききました。

ここから石畳が始まります。

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やはり復元ものとは違ってホンモノは違います。

石には苔がついていて滑りやすく
しかも急坂なので要注意です。

約500mほど歩いて熊野古道公園付近で終わります。

公園といっても廃墟になりつつある広場で
熊野古道ブームの時に整備されたのでしょう。
何年か先には自然に戻ってしまうかもしれません。

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紀伊名所図会にも描かれている金魚茶屋付近。

清流の水を引き込んで金魚を飼ってたのが有名で
旅人の疲れを癒していたそうです。

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見事な水田がある集落。
ここからは舗装路が続きます。

四ツ石は後鳥羽上皇の聖跡。
存命中に29回も熊野詣をしたのは大したものです。

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内ノ畑王子、高家王子と進みます。

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歩いてると地蔵型道標をよく見かけますが
地名が書かれてるところは赤い布が掛かっている場合があるので
めくって見ないことには確認することができないのですが
地名が書いてあると嬉しいものがあります。

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善童子王子、愛徳山王子を過ぎて道成寺。

本堂は正平12年(1357年)頃の竣工のもので
寺に残る仏像群の大半も平安時代のものです。

仁王門、三重塔などの諸堂塔は
近世を通じて徐々に整備されていったそうです。

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道成寺といえば釣鐘饅頭です。
和歌山のお土産におすすめです。


  
posted by にゃおすけ at 15:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 熊野・紀州への街道 | 更新情報をチェックする
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