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暑い時期は朝のうちに距離を稼ぎます。
海の眺めが綺麗な堺漁港。
漁港の先からの海岸線は護岸整備されてないので
昔ながらの岩がむき出しの海岸になっています。


コンクリ壁には郡界石が埋まっていました。
ここが南部と田辺の境目にあたります。



芳養(はや)王子跡は今の芳養大神社。
秋に5〜7歳くらいの子どもを着飾って
大人が肩車をする「美女万歳」が奉納されています。

芳養松原という地名。
この先にある牛の鼻という岬まで続いてたと思うのですが
海岸線の埋め立てによって昔の面影がありません。
かつては相当な松原が広がったいたことでしょう。


昔の名残りを惜しんでか
国道沿いに若い松が植えられていました。
松の間から眺める海はいいものですね。

田辺市街地は城下町だった影響で
道筋には枡形や道標が残っています。
熊野古道はここで川の上流へと進路を変えます。
平安時代の田辺市街地は広大な湿地帯だったので
住むことはおろか通ることさえ出来なかったそうです。


中世から江戸時代になると市街を通るようになりますが
新旧の分岐点というべき場所が出立王子跡です。
潮浴びのことを潮垢離というのですが
出立王子前方ニある潮垢離浜で体を清めていました。

ちょっとした山を登っていくと田辺の港が見えてきました。
昔は湿地だったと思えないほど発展しています。
ここから中辺路と名前を変えます。


この先は会津王子跡、万呂王子跡と経由していきますが
どこが本当の場所だったか謎が多い王子です。
会津川の流れの影響で道筋が頻繁に変わったり
近世になってからは現市街地を通るようになったので
両王子は随分と早い段階で寂れてしまったのでしょう。


その万呂王子を通過している時のこと
手持ちのiphoneの電源が突如切れてしまいました。
完全に放電していたので予備バッテリーでは充電できず、
店を何軒か回って充電させてもらったのですが
今度はいくら充電しようが17%からあがらずで困りました。

地図類をすべてiphoneに入れてあるので
いつまた電源が落ちるかヒヤヒヤしてたのですが
結局は予備ケーブルに付け替えたら直りました。
ようするに中で断線していたんですね。
これが山の中だったらと思うとゾッとします。
全てを電子化してると危険だなと改めて思いました。


さて、三栖王子跡です。
ここから先は草道が多くてわかりにくくなっています。
有名な中辺路といえども
今回の区間はほとんど人が歩いてないようです。
ただ、藪は真夏の時期でもこの程度だったので
冬から春は普通に歩けるかもしれません。



こういう場所でも案内看板はあるのは嬉しいところで
さすがは熊野古道だなと思いました。
八上王子までの間では崩落個所があります。
迂回が推奨されていますが赤テープの目印があったので
自己責任で進んでみました。



さすがに迂回推奨区間は草は伸び放題。
倒木もいくらかありましたが路盤はしっかりしてるので
意外とスムーズに歩けるものでした。

ここが崩落場所です。
2mほど道がなくなっていました。
上側に迂回路があったので利用しています。
熊野地方は雨が多い地域です。
こういう崩落はどこであってもおかしくないわけで
そのたびに迂回を繰り返していたのではと思います。


崩落場所を過ぎて舗装路にでました。
八上王子跡には歌人西行法師の歌が残ります。

次は稲葉根王子跡になるのですが
昔ながらの山越えで進むのは結構大変です。
山道に入ると案内看板はほとんどなく、
GPSがないと道がわからないほどです。


伸びまくる草。
所々に雰囲気の良い場所もあるんですが
植林の影響などで道筋が壊れている状態です。
峠付近の立派な切通しには感動しました。




下り坂はこれまた倒木だらけの急坂。
動物の罠が仕掛けられていたりして大変でした。
そうこうしてるうちに稲葉根王子跡。

ここは五体王子の1つ。
立派な境内でちょっと一休み。
心洗でタオルに水を含ませて顔を洗います。
気持ちいい!!

ここから先は熊野の聖地から流れている
富田川に沿った道が続きます。
熊野古道は川を何度も渡って進むのですが
繰り返すことで心身ともに浄化するという話があります。

稲葉根王子跡から一ノ瀬王子跡へ。
さっそく富田川を渡ります。
ルートが二手に分かれてるのですが
今回はだるま寺を経由する道筋を使いました。
潜水橋から見る水面はとても澄んで綺麗でした。


だるま寺。
この周辺は看板通り進めば大丈夫なのですが
本当に熊野古道?と疑問の場所も多々あります。
でも普通に考えると川沿いなので氾濫はつきものなので
安全を考えて高台を通っていたのかなとも思います。


一ノ瀬王子跡を過ぎて川の右岸を進みます。
この付近は舗装路で熊野古道の雰囲気はないですが
景色はダイナミックなものがありました。
飛び込みたい!



鮎川王子にかけては山の中腹を進む場所があります。
現在の国道は無理矢理川沿いに作られているのですが
当時は道を通す技術がなかったので山へ向かったのでしょう。


逆に氾濫期でない川の流れが安定している時は
河原を通っていたのでは?と考えてもみたのですが
熊野特有の漬物石みたいな石がゴロゴロしているので
とても歩けたものではなかったのだろうと想像できます。


今回のゴール鮎川王子跡。
宿は田辺市街で取ったのでバスで戻りました。
1時間に1本程度あるので便利なものです。
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