2017年06月16日

『街道プレゼン』熊野古道と街道マップのこと。

今回は先日の街道シンポジウムで発表しました
熊野古道と街道マップについてをテーマに話していきます。

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熊野古道は平安時代がピークの信仰の道です。

その後は時代とともに衰退していくわけですが
世界遺産登録を機に再び脚光を浴びています。


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和歌山県の街道概要(わかやま観光情報のページより)


いわゆる「熊野古道」と名前が付いてる道筋は
出発地点や目的の違いから幾重ものルートがあります。

江戸や伊勢神宮方面からの「伊勢路」
高野山方面からの「小辺路」
京や大坂からの「紀伊路」「中辺路」「大辺路」


どのルートも熊野本宮大社へと続いている点が
大きな特長といえるものです。

ただ、大まかな道筋はわかっていたとしても
どこを経由していたか等の細かい部分は推定が多くて
江戸時代の五街道は絵図が残ってるのとは対称的に
平安時代の街道資料はほぼ皆無といえます。

数少ない平安時代の資料があったとしても
日記の一文に〇月×日に△△に寄った的なものが多いので
道筋の特定の判断材料となると弱いところです。
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熊野古道は信仰の道だったことから
都市と都市を結ぶだけの街道とは少し役割が違うところで
ルート周辺にある寺社に寄り道する人が多かったものと思います。

こういう点からも熊野古道のルートは
推定が多くなってる上に複雑なのは仕方ないところで
これを理解して歩くことは他の街道歩きと違う点といえます。

昔の道を忠実に歩きたいウォーカーにとっては
やや消化不良なところがあるかもしれません。


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わかりやすいウォーキングマップ(わかやま観光情報のページより)


熊野古道を案内するマップとしては
わかやま観光情報が良いものを作成されています。

街道マップ|高野巡り・熊野古道
https://www.wakayama-kanko.or.jp/walk/

名所や所要時間などもしっかり書かれていて
熊野古道をとりあえず歩いてみたい層にとっては
これほど役に立つものはないでしょう。

ただ、ルート自体は間違っている部分が多く、
トンネルなど明らかに違う場所が指定されてたりします。

例えば上のマップの濃い茶色の線に注目です。

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地図の左端「朝日楼」と書かれている付近

一見すると国道の脇にある旧道に見えますが
元を正せばJRの旧線だったりします。

こういう旧線跡を遊歩道などに転用してる例は多いですが
当然のことながらここは熊野古道ではありません。

ここをあえてルート指定になっているということは
大人の事情が絡んでいるものと思われます。

この点で和歌山県観光連盟にお聞きしました。
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・歩いていただく方の安全性を考慮したルート
・地元の関係者の意見を聞いてのもの


これはよくあることなので納得です。
熊野古道のメインの時代は平安時代で資料が少ないので
あらゆる方面からの意見を募っての決定は重要なことです。

また別のメールでは

・街道マップは和歌山県の古道を多くの人に触れてもらうのが目的
・調査や研究に基づいてのルートではない


街道マップを制作した趣旨はこの2点だったそうです。
これはこれでアリだと思います。

ただ、重大な問題点が一つ。
それは間違ったルートが既成事実化してしまうこと。

熊野古道には長い歴史があるので
ルート変更での消失は多かったものと思います。
またルートは推定箇所が多いのは前述のとおりです。

しかし、明らかに違う場所を指定してしまうと
20年後、50年後という長いスパンで考えてみれば
そこが本来の道と疑う人は少なくなってしまいます。

結果、指定されなかった本来の道は
歴史の中に埋もれてしまうことになりかねません。
自治体のサイトは個人と違って発信力があるので
間違ってる道でも正しくなることがあるのは怖いところです。

もし、街道マップのわかりやすい場所に

「自治体推奨のルートだよ!」
「本来の道でない所もあるよ!」


というようなことが書かれていたなら
こういう問題はおきないのではと思います。

閑話休題。

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熊野古道は実際歩いてみると
雰囲気は良く他の街道にない良さがいっぱいあります。

上の写真は小辺路にあった茶屋の跡です。
石積みなどの大部分は江戸時代のものですが
山の中だけあって時間が止まってる感覚がします。

このような場所には案内看板があることが多いですが
案内看板を見て往時の様子に思いをはせることができます。

しかしながら全部の見どころに案内看板があるとは限りません。
こういった場合は図書館などで調べる方法があるのですが
もっと簡単な良い方法といえば「古老」のお話です。

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昔話を聞くことは意外な発見があったりするもので
地元の人の話は調査の上で有意義になることが多いです。

古老というと老人をイメージしますが
若者や子供だって十分に古老である資格があります。
よそ者より長くそこに住んでるというのが重要です。

今の時代は下手に話しかけると怪しまれることがありますが
まあ、その辺りは臨機応変にいきましょう。

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隠れている古道を探し出す方法としては
地理院地図や旧版地図を用いた調べ方があります。

道となる場所は太い線や点線で描かれてるのですが
山間部での点線は大抵は登山道である場合が多いです。
その中でも明らかに山頂方向に向かっていないとか
車道に平行してる点線などは旧道である可能性が高いでしょう。

ただ、気を付けないといけないのは
測量ミスと思われる点が多いことです。

下の地図では実際に歩いた道(緑色)と点線では違いますね。
特に山の中の道筋はこういうことがザラだったりするので
100%信用して計画を立てていると痛い目にあいます。

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最近ではデジタル資料をネットで公開が増えてきて
旧版地図も簡単に見れるようになってきました。

スタンフォード大学の旧版地図
http://stanford.maps.arcgis.com/apps/SimpleViewer/index.html?appid=733446cc5a314ddf85c59ecc10321b41

このサイトでは日本各地の旧版地図が公開されてますが
旧版地図の中でも比較的新しい時代のものです。

江戸時代の道を知ろうとすると
出来る限り江戸時代に近い年代の地図が欲しいところですが
これはなかなかネットでは出回ってくれてません。
地理院で取り寄せという形が一般的でしょう。

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最後に熊野古道小辺路の知られざる旧道のご案内。
上の地図の急斜面には点線が描かれているのがわかります。
場所は十津川村。有名な果無集落の手前です。

後にこの点線の道は廃道になってしまうのですが
現地で確認すると意外と痕跡が残っていました。

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こういう平場の場所が道だったんですよね。

今にも消えてしまいそうな痕跡だったので
20年後、50年後はどうなってるかわかりません。

街道マップから外されてしまった道筋の末路。
ここも歴史に埋もれてしまうのでしょうか。

以上です。



posted by にゃおすけ at 10:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 街道シンポジウム | 更新情報をチェックする
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