今回の災害においては広範囲に被害が渡っています。
岡山、広島以外にも大きな被害があると思いますが
とりわけ実際に歩いた場所となると思い入れがあって
日々の報道に耳を傾けては気を揉む毎日です。
街道歩きでは歩く前準備で歴史を丹念に調べあげたり、
現地では歩行時間がかかることで滞在時間が長かったり、
古老との語らいもあったりと濃い旅を楽しむことができます。
今回は西国街道のハイライトというべき区間である
岡山から広島にかけて振り返ってみようと思います。
西国街道その9・岡山城下→矢掛宿
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写真集:https://photos.app.goo.gl/4BeQLZ4Ds6oU4qcp9
国分寺付近や真備、矢掛の辺りは大部分が平坦なので
古の旧山陽道らしい風情を心地良く味わえます。
かつての旧街道は沿岸部ではなく内陸部を通っていました。
今の感覚からすると不思議に思う人が多いと思いますが、
昔からある道のルートというものは理由があるもので
沿岸部を通らない事情があったものと思います。
瀬戸内の独特な地形や地質はその理由の一つで、
大昔は沿岸部の地盤が安定していなかったといいます。
しかしながら内陸部も今回の災害のように安定とは言いずらく、
一部は活路を海に求め舟での海運も発達していきます。
真備付近は昔から川の氾濫が多かった場所でしたが
場所によっては山の中腹に道を通しているように
川の氾濫を見越しての何かしらの対策が見られます。
現代になって治水が発達して安全になったと思いがちですが
過去の災害の事例は大事だと改めて考えさせられます。
西国街道その10・矢掛宿→横尾駅
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写真集:https://photos.app.goo.gl/nsYQfkXwEaWAb8Ky8
この区間も平坦で心地よく街道歩きを楽しめました。
矢掛宿はなまこ壁の漆喰など一体感を感じる良い町並みです。
また国境を越えての神辺宿には本陣が現存しています。
近世における沿岸部の発展と比べると良い意味で遅れたおかげで
レトロな町並みが好きな人にとってはたまらない区間です。
西国街道その11・横尾駅→三原宿
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写真集:https://photos.app.goo.gl/gUTTF9cbQfBLwk5KA
横尾付近からは福山まで芦田川沿いを南下していきますが
江戸時代から城下を守る為に精力的に治水が行われてた影響からか
今回の災害においても決壊はなかったようです。
近年の改良で手が加えられてはいますが
かつては堤防の形が両岸で違っているので有名でした。
下流域に向かって左側が城下方面になるのですが
右の堤防を一段低く作ることで右を決壊させやすくして
城下が水浸しになることを防いでいたということです。
今の時代にこれをやるとエライことになりますが
当時は人が住んでなかったりと可能だったのでしょう。
この区間では有名な尾道も通ります。
福山からは沿岸部を通っていくわけですが
先述のように海岸沿いは地盤が安定してなかったので
峠越えがあったりと先人の苦労が偲ばれます。
西国街道その12・三原宿→八本松駅
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写真集:https://photos.app.goo.gl/rfkWPaAH99UzzHkW8
三原城下を経て本郷宿を過ぎると
西国街道随一の難所である松子山峠です。
今回の災害では一体どうなってるのでしょうか。
元々この区間は狭い道が多く藪になってる箇所があるので
山崩れなど相当傷んでいるのではと思っています。
西国街道その13・八本松駅→西広島駅
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写真集:https://photos.app.goo.gl/EdJutBVCYhbvjkXy7
鉄道の難所でもあるセノハチを越えて一気に広島平野へ。
この区間で何よりも一番に印象に残ってるのは
山にへばりつく形で建つ新しい住宅地でしょうか。
それほど広くない広島の平野部は開発し尽されたので
住む場所を山間部へと求めた結果なのでしょう。
あと、海田市のあたりも印象的でした。
昔は街道沿いまで海が迫っていたのですが
現代の地形からはちょっと想像ができませんね。
少ない平地を増やす努力は
干拓によって江戸時代から行われていたのですが
昔から広島周辺は土地不足で悩んでいたのかもしれません。
以上、駆け足で振り返ってみました。
この他にも山口県内の岩徳線沿いの被害も大きかったようです。
一日も早い復興を願うとともに皆々さまのご無事をお祈り致します。
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いつもにゃおすけさんの街道歩き内容を参考に、歩かせて頂いております。有難うございます。先週、休暇をもらい、広島県の本郷駅〜新岩国駅(御庄宿)を歩きました。
お礼を兼ねて各峠の現状をフィードバックさせていただきます。
@瓦坂峠の手前の旧道:下草が整備され、歩きやすかったです。
A瓦坂峠:特に藪化せず歩きやすかったです。
B松子山峠:一里塚モニュメント間から、印等を見ながら少し不安でしたが迷わずに歩くことが出来ました。コンクリートはその先に道があるので迷うこともありませんでした。峠の石碑から下ると、ゴミ焼却場が出来ていました。災害の影響はないと思われます。
峠前のバイパスをよじ登るのが一番大変でした。
C飢坂峠:記載通りで歩くのに問題ありません。
D大山峠:災害の大きな影響があります。
(i)建物の横の舗装道路を上り、放置された車も通り、少し開けた場所が、工事用道路と排水路を作成中で、旧道が分断。しかし先を見ると旧道らしきものがあり、そのまま歩けました。
(ii)土砂崩れの影響で地面に亀裂が入り川になって、旧道を分断、これも先を見ると旧道らしきものが見え、亀裂した底をわたり、旧道復帰。
(iii)その後歩くとすぐに大山峠の石碑と説明版(峠)に到着。
(iv)下っていくと、開けた場所になり土砂崩れで木がたくさん横倒しになった場所に到達。どの方向に行くか迷ったが、来た道と木が残っているところが旧道と推測をつけて大木を数か所超えると、下側に大山刀次の石碑が見え、木の下の隙間から潜り込み、着地。その後、木橋を渡り墓もあり。旧道復活。
(v)さらに下ると、開けた場所になり土砂崩れで旧道破壊されているが、大木はなく、地元の方の赤いテープと木の杭があり、それに従い、土砂の端を歩き、旧道に合流。
(vi)さらに下ると土砂災害の対策用の砂防ダムに到着。その後は舗装道路で下っていけました。にゃおすけさんの写真では緑多い感じでしたが、今はそうでなく人工的な舗装道や護岸工事がされていました。土砂災害の恐ろしさがまだ残っている状況でした。
E四郎峠:旧道が良くわからず、そのまま舗装道路を歩きました。
F残念社、鉾の峠、馬ためし峠:大竹市歴史研究会の標識がきちんとあり、にゃおすけさんの記載通り問題なく歩けました。馬ためし峠の出口は民家の間に木の棒があって通れないようにしていましたが、一時的に外して通りました。
G苦の坂峠:特に問題なく歩けました。
H下瀬峠:にゃおすけさん記載通り、旧道あり歩けました。下り坂の旧道の最初は藪化していたので途中から歩きました。多田見峠はパスしました。出口は確認しました。
ほとんどがにゃおすけさんの記録からあまり変わらず残っている感じでした。
峠の連続でハードでしたが、西広島〜廿日市の下町の雰囲気、四郎峠以降の里山歩き、妹背の滝、残念社付近の眺望等、見どころの多い街道でした。
Twitterフォローさせていただいております。自分が発信していないので、少しずつ発信を考えたいと思っています。
ご参考になれば幸いです。よろしくお願いします。
事細かに現状を教えて頂き記憶が蘇ってきました。
私もこの区間はハードだった記憶が真っ先に頭に浮かぶのですが、
反面、雰囲気良い場所ばかりで大変歩きがいがありました。
大山峠の状況は随分と変わってしまっているのですね。
状況が文章で十分伝わって驚いているところです。
明治期においても土砂崩れの影響でルートが変わっているので
元々、ここは災害に弱い場所なのかもしれませんね。
御庄宿から先の区間も楽しまれてきてください。
ご返信有難うございます。
下関までまだ距離がありますが、これから先も楽しみです。萩往還にも行きたいなあと思っています。
西国街道のみならず他の街道でも時々フィードバックさせていただきます。
追伸:ちなみににゃおすけさんが歩いた時に御庄宿に入るときに渡った橋は撤去中でした。
今後ともよろしくお願いいたします。
この先の道中の状況も気になりますので
またお教えいただけると幸いです。
ありがとうございます。