2018年10月24日

北国街道越後路その4・刈羽原発→出雲崎宿

日の長いGWならではの朝4時半出発で
北国街道最終目的地の出雲崎宿へ。

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原発の迂回路をしばらく進むと海沿いになり
ここでようやく旧道が復活します。

原発の刈羽側も柏崎側と同じような厳重なバリケード。
海の中にも続いていてまるでどこぞの国境のようです。

この場所は長く立ち止まていると警告を受けます。
常に監視カメラで警戒しているようですね。

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この付近の旧道風情。傍らには石仏もありました。

原発で失われた区間は比較的砂地が多かったというものの
このような街道風情の場所もあったことでしょう。

振り返ると原発と米山の光景が見えました。

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周辺の海はサーファーの人気の場所のようで
朝早くから多くの人を見かけました。

奥に浮かぶ船は原発への不法侵入の監視船でしょうか。

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宮川宿。

宿場であったとともに北前船の寄港地でもありました。

かつては200戸ほどの寒村で
庄屋が問屋を兼ねていたり舟番所もありました。

宿場の前後に湧水が湧き出ていて
今も宮川の人々に利用されています。

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遠くに椎谷宿が見えてきました。
振り返れば米山、柏崎、番神が見えます。

今回の区間はひたすら海岸沿いを進みます。

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椎谷宿は椎谷藩1万石の陣屋町です。

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この右手の柵に囲まれた東屋は
お殿様の流れを組む人が寄付したのだとか。
東屋の横の坂道を上ると陣屋跡がありました。

その陣屋建物は戊辰戦争で焼失してしまっていますが
広大な敷地はそのままで宿場を見下ろせる場所です。

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かつて椎谷というと馬市が有名でした。
春日新田、栃尾とともに越後三大馬市であるとともに
広島、奥州の白河とあわせて「日本の三大馬市」とも言われています。

今はまったくその面影がないような感じですが
宿場の7割が馬喰宿だったというから相当なものです。
馬は交通体系の変化からくる需要減という形で衰退していくので
他の馬市と同様の仕方のない運命を辿っていきます。

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高台から椎谷宿を俯瞰して観音岬へ。

観音岬から先は中越沖地震の影響で地割れが発生したため
トンネルで迂回する必要があります。

ただ、米山トンネル付近の崩落と比べると
小規模のようなので無理をすれば通れなくもないようですが
安全を考えるなら迂回することが賢明でしょう。

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観音岬付近には椎谷観音堂があります。

岬からお堂までは獣道も存在しているのですが
道筋的に古い時代の北国街道なのかもしれませんね。

観音堂の建物は江戸中期のもので茅葺屋根が特長的です。

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椎谷観音堂から椎谷宿へ戻る道には長い石段が続いています。

見た目はかなりいびつな感じに作られてますが
これは村の力持ちが1人で作り上げたものといわれていています。
それまでは悪さばかりしていたどうしようもない人だったみたいですが
改心した後は村のために尽くして即身仏にまでなったそうです。

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トンネルで迂回した先には杖立観音堂跡がありますが
お堂は中越沖地震で崩壊しています。

この辺りの海岸は地震で25cm隆起したそうです。

遠くに弥彦山と石地宿が見えてきました。

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家々を風雪から護る「風当て」。

隙間があって一見すると大雑把なものですが
この大雑把さが良い感じに雪が通り抜けたりする仕組みなのだとか。

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石地海水浴場。

この辺りは海水浴場銀座です。
続けざまに見かけるという感じで存在しています。

パッと見た感じはどこも同じような雰囲気なのですが
石地に関しては昭和2年新潟毎日新聞社主催の海水浴場選定において
一等になって「近県名所選定. 一等当選 石地海水浴場」となっています。

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そういう場所だけあって石地は今も人気のようで
旧道沿いには海の家が建ち並んでいます。

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ほどなく進むと石地宿です。
磯に恵まれた海岸の立地にあります。

ここには日本の石油王日石の初代社長の生家があります。

立派な長屋門は武士でも位の高い者だけの特権でしたが
平民にも拘わらず設置が許されているのは
それだけ特別な家柄(大庄屋)であったようです。

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新潟県内に入っての海岸沿いは
石油に関係するものが多いですね。

この先にある勝見鉱泉においても
石油ガス掘削時に出たガスを使って湯を沸かしたのがきっかけで
今も油井跡あたりで若干のガスの匂いが漂っています。。

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出雲崎宿を遠望。
対岸には佐渡ヶ島もくっきり見えてきました。

宿場の入口は獄門の跡があります。
いわゆる刑場の跡で中心部から離れた場所にあるのは
他の宿場の刑場と同じようなスタイルですね。

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枡形を通って出雲崎宿の尼瀬地区。

江戸時代「くそうず」と呼ばれた石油は
尼瀬でよく滲み出ていたので採取されていたのですが
明治になると櫓が組まれ一大油田地帯になっていきます。

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尼瀬油田は世界一小さな油田といわれたものですが
現在は櫓が一つだけ現存し保存されています。

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出雲崎宿の住吉地区。
妻入りの家々が建ち並びます。

ここで道の駅の資料館に寄り道しました。
この手の資料館はイマイチな展示内容が多いイメージなのですが
意外や意外、金の輸送や石油の歴史などしっかり作り込まれていて
中身の濃さには驚いてしまいました。

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街道筋は静かです。

出雲崎宿は徳川幕府の直轄地で
佐渡金銀輸送や北前船の寄港地としても栄えていて
廻船問屋が建ち並び、遊廓も充実して人口密度は相当なものでした。

ちなみに江戸への金銀輸送は
出雲崎宿から11日かけての道中が一般的だったようです。

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良寛の生誕地といわれている場所。出雲崎宿石井地区。

家並みの裏側の道は現在は埋め立てられていますが
昔は海だったので家から直接浜に出れたみたいです。

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やがて左手に道路元標がありゴールとしました。

この先も街道自体は続いています。
いずれは歩いてみたいとは思っていますが
出雲崎までは金銀輸送が一つの大きな目的の道なので
ここで区切りを付けるのは大いにアリと思います。

海岸沿いの道は季節によって顔が違います。
今回通った道筋はも冬と夏ではまったく違う表情なのでしょう。
オススメは春秋でしょうか。混雑もなく快適に歩けそうです。



  
posted by にゃおすけ at 16:28 | Comment(0) | 北国街道(北陸道) | 更新情報をチェックする
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