2019年05月15日

熊野古道大辺路その3・周参見→和深

2019年街道歩き初めは大辺路にしました。
周参見付近は海のレジャーが人気で民宿が多いですが
シーズンオフのおかげで1週間前でも予約が取れて助かりました。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

大辺路歩きも3回目ということで
紀伊半島の南端部に差し掛かろうとしています。
串本周辺の大辺路ルートは地元に熱心な方がおられて
日々、開拓と維持に精を出されているみたいです。

大辺路刈り開き隊
https://8911.teacup.com/shiridenosaka/bbs

そのおかげで今回のルートは
和歌山県が発行する安全性重視のルートよりも
信憑性が高いルートを歩くことが出来ました。

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最初の難所「馬転坂」へ。

入口手前では工場の敷地内を通るのですが
どこから入ろうか迷った時に現れたのが「大辺路」の案内看板。
今回の道中ではあちこちに設置されていて助かりました。

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馬転坂は名前のとおり急坂が続いています。
途中から造成地によって古道が消失しているのですが
まるで荒野のような光景に驚いてしまいました。
バブル時代に何かを作ろうとした跡かもしれませんね。

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古道は一旦海沿いに出るも再び進路を峠へと取ります。

タオの峠への道筋はそれほど大変なものではありません。
「タオ」とは地元の言葉で「たわむ」という意味で
「なだらかに湾曲した峠」であることを意味しています。

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境目石がありました。

明治〜大正にかけての串本付近は集落と集落の境界で
漁場などが原因で揉めることが多かったようです。
一晩で勝手に境目石が移動させられてたこともあったとか。

やがて山間部の静かな集落へと入ります。

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集落内には余り知られてない古道が残っています。
上がその入口ですが右手にあるイルカ形の家が目印になります。

道が明瞭ではありませんし崩落個所もあります。
大辺路である証拠に案内看板も立っているのですが
一見すると地元の農家の作業路といった雰囲気です。

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大辺路では世界遺産に登録した区間は
整備されて大変歩きやすくなっているのですが
それ以外の山道に関しては難易度が高い印象があります。
これは中辺路と違ってそれほどメジャーではないことや、
全区間に渡って歩く人が少ないということがあるのでしょう。

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和深川王子神社。
寛永2年創建で王子神社と春日神社が併せて祀られています。

次の難所は世界遺産登録区間である長井坂ですが
その手前の見どころで「丸山の掘割」が線路向こうにあります。

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なかなか立派な掘割です。
ここは以前は古道の道筋ではあったのですが
鉄道建設によって分断となってしまっています。
これも時代の流れ仕方ないところです。

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長井坂の入口もまた線路によって消失しています。
本来の入口は線路脇から入る形になっていたようなので
現在の入口はいわば迂回路になっています。

長井坂は別名「長柄坂」。
この地域の「長井」が訛った言い方です。

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版築。

この付近は尾根道ですが尾根を版築(段築)によって
土手状に固めて歩きやすくしたものです。

古道の構築、維持管理上からみて極めて重要な事例だそうで
長い年月ここまでの状態で残っているのは凄いの一言です。

長井坂の状態が良い理由は一つに私有地でなかったことで
植林されず雑木林のままだったことが大きいようです。

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木々の隙間から見老津が見えてきました。

「みぎハやまみ」「ひだてハくまの」。
「やまみ」は山道のことで「み」が地面に埋まってしまっています。

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長井坂を終えると浜沿いへ。
見老津を眺めながらスリの浜へ入っていきます。

スリの浜は砂浜に沿った道になるのですが
「スリ」とは「大ズリの谷」という場所からきています。

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岩がゴツゴツした特長的な海岸線です。
どこが道筋になっていたのか特定が難しいですが
中には人工的に作られた切通しもあったりと
普通の砂浜にない萌えがあって面白いところです。

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スリの浜を端まで歩いて普通の道に戻ろうとしたとき、
どこを見渡しても戻り口がありません。

結局は崖をよじ登って脱出に成功したのですが
この辺り一難去ってはまた一難といった感じですね。
ほんと大辺路は道筋がわかりづらい場所が多いなと思います。

やがて江住の集落へと入ります。

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上の写真の場所を右側の旧道へと入るのですが
その横に見える宿を今回利用させてもらいました。

1泊3500円という安さな上に駅近で
しかも車を宿泊当日の朝から翌日夕まで停めれるという。
このおかげで宿を拠点にして電車で移動できたわけで
なんとも街道ウォーカーに優しいお宿でした。

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江住駅前を過ぎてJR線を横目に進みます。

高架橋は若干貧相に見えますが
戦前に開通した区間で特急も走る幹線です。
ただ、幹線といっても規格が低いので
新宮-白浜のスピードはかなり遅いものです。

江住駅 - 和深駅間ではシカとの接触事故が多いのですが
ライオンの糞を撒いて鹿よけをすることで話題になりました。
鹿も賢いので効果は一時的だったみたいです。

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次なる難所は「六坊浜」

里野海水浴場の砂浜を横切っていくと
磯沿いに道が刻まれた岩場あたりがその地です。
「六坊」とは江戸時代の僧でここで亡くなったことに因みます。

水がとても美しいですねー。
飛び込みたい!

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海の水がかかりそうな狭い岩場もありました。
荒天時はちょっと厳しそうですね。

ここも出口は非常にわかりづらかったのですが
なんとか大辺路の案内看板を見つけることができました。

若干荒れ気味でしたが地盤は安定していて
よく見ると石畳もキチンと残る良い道筋でした。

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立派な切通しの「雨島の掘割」を過ぎれば和深まで後少し。

家々を見ていると頑丈な石造りの塀が多いですが
おそらく台風などの対策からなのでしょうね。

この日は当初の予定は和深駅ではなく次の田子駅まででした。
ところが連続する悪路によって時間をおしてしまい
結局予定時分を1時間近くオーバーしてしまいました。
難易度に関しては今回は相当なものだったと思います。

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ただ、この難易度も和歌山県の街道マップルートならば
一気に初心者レベルに落ち着いてしまいます。
こういうところが自治体マップの緩いところですね。
本来の道筋を取るか安全第一を取るか。
安全に本来の道筋でいけるのが一番なんでしょうけど
なかなかそうはいかないのは歯がゆいところです。


  
posted by にゃおすけ at 13:44 | Comment(0) | 熊野・紀州への街道 | 更新情報をチェックする
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