周参見付近は海のレジャーが人気で民宿が多いですが
シーズンオフのおかげで1週間前でも予約が取れて助かりました。

↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
大辺路歩きも3回目ということで
紀伊半島の南端部に差し掛かろうとしています。
串本周辺の大辺路ルートは地元に熱心な方がおられて
日々、開拓と維持に精を出されているみたいです。
大辺路刈り開き隊
https://8911.teacup.com/shiridenosaka/bbs
そのおかげで今回のルートは
和歌山県が発行する安全性重視のルートよりも
信憑性が高いルートを歩くことが出来ました。


最初の難所「馬転坂」へ。
入口手前では工場の敷地内を通るのですが
どこから入ろうか迷った時に現れたのが「大辺路」の案内看板。
今回の道中ではあちこちに設置されていて助かりました。

馬転坂は名前のとおり急坂が続いています。
途中から造成地によって古道が消失しているのですが
まるで荒野のような光景に驚いてしまいました。
バブル時代に何かを作ろうとした跡かもしれませんね。



古道は一旦海沿いに出るも再び進路を峠へと取ります。
タオの峠への道筋はそれほど大変なものではありません。
「タオ」とは地元の言葉で「たわむ」という意味で
「なだらかに湾曲した峠」であることを意味しています。


境目石がありました。
明治〜大正にかけての串本付近は集落と集落の境界で
漁場などが原因で揉めることが多かったようです。
一晩で勝手に境目石が移動させられてたこともあったとか。
やがて山間部の静かな集落へと入ります。


集落内には余り知られてない古道が残っています。
上がその入口ですが右手にあるイルカ形の家が目印になります。
道が明瞭ではありませんし崩落個所もあります。
大辺路である証拠に案内看板も立っているのですが
一見すると地元の農家の作業路といった雰囲気です。



大辺路では世界遺産に登録した区間は
整備されて大変歩きやすくなっているのですが
それ以外の山道に関しては難易度が高い印象があります。
これは中辺路と違ってそれほどメジャーではないことや、
全区間に渡って歩く人が少ないということがあるのでしょう。

和深川王子神社。
寛永2年創建で王子神社と春日神社が併せて祀られています。
次の難所は世界遺産登録区間である長井坂ですが
その手前の見どころで「丸山の掘割」が線路向こうにあります。


なかなか立派な掘割です。
ここは以前は古道の道筋ではあったのですが
鉄道建設によって分断となってしまっています。
これも時代の流れ仕方ないところです。

長井坂の入口もまた線路によって消失しています。
本来の入口は線路脇から入る形になっていたようなので
現在の入口はいわば迂回路になっています。
長井坂は別名「長柄坂」。
この地域の「長井」が訛った言い方です。


版築。
この付近は尾根道ですが尾根を版築(段築)によって
土手状に固めて歩きやすくしたものです。
古道の構築、維持管理上からみて極めて重要な事例だそうで
長い年月ここまでの状態で残っているのは凄いの一言です。
長井坂の状態が良い理由は一つに私有地でなかったことで
植林されず雑木林のままだったことが大きいようです。


木々の隙間から見老津が見えてきました。
「みぎハやまみ」「ひだてハくまの」。
「やまみ」は山道のことで「み」が地面に埋まってしまっています。

長井坂を終えると浜沿いへ。
見老津を眺めながらスリの浜へ入っていきます。
スリの浜は砂浜に沿った道になるのですが
「スリ」とは「大ズリの谷」という場所からきています。



岩がゴツゴツした特長的な海岸線です。
どこが道筋になっていたのか特定が難しいですが
中には人工的に作られた切通しもあったりと
普通の砂浜にない萌えがあって面白いところです。

スリの浜を端まで歩いて普通の道に戻ろうとしたとき、
どこを見渡しても戻り口がありません。
結局は崖をよじ登って脱出に成功したのですが
この辺り一難去ってはまた一難といった感じですね。
ほんと大辺路は道筋がわかりづらい場所が多いなと思います。
やがて江住の集落へと入ります。


上の写真の場所を右側の旧道へと入るのですが
その横に見える宿を今回利用させてもらいました。
1泊3500円という安さな上に駅近で
しかも車を宿泊当日の朝から翌日夕まで停めれるという。
このおかげで宿を拠点にして電車で移動できたわけで
なんとも街道ウォーカーに優しいお宿でした。


江住駅前を過ぎてJR線を横目に進みます。
高架橋は若干貧相に見えますが
戦前に開通した区間で特急も走る幹線です。
ただ、幹線といっても規格が低いので
新宮-白浜のスピードはかなり遅いものです。
江住駅 - 和深駅間ではシカとの接触事故が多いのですが
ライオンの糞を撒いて鹿よけをすることで話題になりました。
鹿も賢いので効果は一時的だったみたいです。


次なる難所は「六坊浜」
里野海水浴場の砂浜を横切っていくと
磯沿いに道が刻まれた岩場あたりがその地です。
「六坊」とは江戸時代の僧でここで亡くなったことに因みます。
水がとても美しいですねー。
飛び込みたい!


海の水がかかりそうな狭い岩場もありました。
荒天時はちょっと厳しそうですね。
ここも出口は非常にわかりづらかったのですが
なんとか大辺路の案内看板を見つけることができました。
若干荒れ気味でしたが地盤は安定していて
よく見ると石畳もキチンと残る良い道筋でした。



立派な切通しの「雨島の掘割」を過ぎれば和深まで後少し。
家々を見ていると頑丈な石造りの塀が多いですが
おそらく台風などの対策からなのでしょうね。
この日は当初の予定は和深駅ではなく次の田子駅まででした。
ところが連続する悪路によって時間をおしてしまい
結局予定時分を1時間近くオーバーしてしまいました。
難易度に関しては今回は相当なものだったと思います。


ただ、この難易度も和歌山県の街道マップルートならば
一気に初心者レベルに落ち着いてしまいます。
こういうところが自治体マップの緩いところですね。
本来の道筋を取るか安全第一を取るか。
安全に本来の道筋でいけるのが一番なんでしょうけど
なかなかそうはいかないのは歯がゆいところです。
【カテゴリ:熊野・紀州への街道の関連記事】