2019年07月03日

有馬道その3・宝塚→有馬温泉

ついに大坂、京、西宮からの有馬道が一つに合流。
ラスト、六甲山中の区間を歩いていきます。


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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かつては田園風景が広がっていた宝塚ですが
今は多くの家が建ち並んでいます。

左手に六甲山の東の端を見つつ
JR福知山線をくぐると武庫川の渡し跡です。

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渡しが右手の道路橋沿いにあった

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生瀬宿は武庫川の河岸段丘上に発達した村で
荷物継立ての宿駅として大いに繁栄し
多くの運送業者が居住していました。

昔ながらの妻入建築の民家は
阪神淡路大震災で数を減らしています。

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河岸段丘上の村だからこその悩みとして
武庫川が横にあるにも関わらず水利が悪く、
支流である太多田川の上流から水路を作って
水を引く必要があったそうです。

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生瀬駅。
開業当初は有馬口駅と呼ばれて
有馬温泉へ行く多くの人がこの駅を利用しました。
ここからは約10キロほどの道のりになりますが
当時の道路事情を考慮しても半日あれば着く計算です。

こういう立地から明治になっても宿場が賑わっていたのですが
交通体系などの変化から長続きはせず衰退していきます。

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国道176号といえば
平行する中国自動車道が大渋滞の時は
こちらも阿鼻叫喚になることで有名ですね。

国道176号は武庫川沿いに名塩、三田へと抜けますが
有馬道は太多田川橋から六甲山中へと進路を取ります。

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「右 三田道」「左 有馬道」
大阪市南区の文字があるので明治初期以降のものでしょう。

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JR福知山線の旧橋脚。
煉瓦造りの橋脚はおそらく開業当時の遺構ですね。

ここから県道沿いに進みます。
太多田川を横に眺めながら勾配自体は大変緩やかです。
有馬へ行くにも関わらず山登りを意識せずに歩けるというのは
昔からよく使われていた道である証でしょう。

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ただ、江戸時代の状況はというと
有馬温泉への湯治客が頻繁に往来するにも関わらず
道らしい道はなく太多田川の岩だらけの河原の道筋で
特に船坂までの一里は川を左右に行ったり来たりだったので
「四十八飛び」あるい「四十八ヶ瀬」と呼ばれていました。

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なので県道部分はほとんど明治以降の道になるわけですが
道幅はそれほど広いわけではなく歩道もない状態なので
今の時代でも難所であることは変わりません。

紅葉シーズンを別とすると
この時間だと交通量は少なく快適に歩けました。

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蓬莱峡、知るべ岩付近で県道は大きくヘアピンします。

知るべ岩とは太閤さんが有馬入湯の際に
旅人が座頭谷に迷い込んだという話を聞いたところ、
迷わないようにと ”右ありま道”と岩に刻んだと言われています。

知るべ岩はどこかー
必死に探したのですが残念ながら見当たりませんでした。
大きな岩で上には標石もあるそうですが・・・。

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さて、旧道はヘアピンへは進まずそのまま直進します。
すると20系客車のブルートレインを使った宿(廃業)が現れ、
その先には廃道が残っています。

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しっかりした路盤です。
道幅は狭くおそらくは明治道になると思います。

この道筋は古い地図にも載ってるもので
交通量が増えた時期から今のヘアピンが出来たのでしょう。

蓬莱峡バス停横で県道に合流します。

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やがて船坂地区に入ります。
ここで四十八瀬と呼ばれる区間が終わります。

随分と細い水量になった太多田川ですが
この水量の時ならば四十八瀬も楽だったでしょうね。

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近辺の主要な中継地として発展した船坂は
湯山街道の案内看板が豊富にあります。
ちなみに湯山とは有馬温泉のことで昔の呼び名です。

集落内は平坦ではなく緩やかな坂が続いています。

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名所の”清水”はこの日は枯れていました。
三つに仕切られ上流側から飲み水用。食器洗い用。
そして野菜洗いと洗濯用になっています。

県道建設で大幅に水量が減ったそうです。

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学校の校庭のような場所を横切ります。
船坂小学校は西宮市で最も歴史のある小学校で
明治6年2月1日に善照寺本堂を仮校舎として開校しています。

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船坂を俯瞰。

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再び県道を進むと白水峡。

なかなか圧巻な光景ですが木々に遮られる場所が多く、
道路に路肩がないので気づかずに通り過ぎる人が多そうです。

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県道はいくつも改良された跡が残っています。

旧の道筋は古地図を見ればわかるのですが
山の中ということで不鮮明な場所が多く
周辺は地質的に脆いので探索するには勇気がいります。

それでも大丈夫そうな場所は突入するわけですが
やはり藪道となるとテンションがあがりますね。

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温泉街が見えてきました。
この付近は杖捨坂。

観光客が増えてきます。
有馬温泉内は古い絵図が多数残っているので
ほぼ昔の道筋で歩くことができます。

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湯本坂と呼ばれる街道筋は古い家が残り
街道情緒がいい感じです。

夜は夜で素敵な雰囲気があります。

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左手に金の湯(一乃湯、二之湯)を見ながらゴールへ。

それにしてもこの時期の六甲はまだまだ冷えますね。
金の湯に入浴して体が温まるまで時間がかかりました。

ようやく有馬道シリーズが終わりとなりましたが
今回の区間は廃道あり旧道ありの見ごたえたっぷりで
距離も手頃でゴールには温泉もあるという充実した区間です。
ハイキング気分で歩けるので大変楽しめるかと思います。
ただし、くれぐれも車にはご注意を。



posted by にゃおすけ at 15:56 | Comment(2) | 有馬温泉への街道 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
にゃおすけ様

こんにちは。
いつも楽しく拝見させていただいております。

有馬温泉への道の良さはウォーキングやハイキングの後に
温泉で疲れを癒すことができることですね。
私は以前、阪神深江駅付近から有馬温泉へ至る魚屋道を
歩いた時に最後に温泉に入ってとてもすっきりしました。

魚屋道はにゃおすけ様が歩かれた宝塚経由の有馬道とは
歴史的には敵対的?な道ですね。
魚屋道を使ったら早朝深江を出発すると
昼には有馬に着いてしまうんですから、
にゃおすけ様が歩かれた道筋と距離、時間を考えれば、
鮮魚を魚屋道で運搬した理由がわかりました。

機会があれば、宝塚経由の有馬道を歩いて金の湯で
疲れを癒したいと思います。
Posted by mogmog at 2019年08月04日 00:25
mogmogさん、おひさしぶりです。
魚屋道と今回の有馬道では需要がどうも違うようで
魚屋道は神戸付近から山越えで有馬へ向かう人が多く利用して、
今回のものは大坂や京から来る人がよく利用したと思われます。
もっとも、魚屋道も有馬温泉を通じる道ということなので
有馬道であることに変わりありません。いずれ踏破したいものです。
Posted by にゃおすけ at 2019年08月05日 09:12
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