ラスト、六甲山中の区間を歩いていきます。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

かつては田園風景が広がっていた宝塚ですが
今は多くの家が建ち並んでいます。
左手に六甲山の東の端を見つつ
JR福知山線をくぐると武庫川の渡し跡です。

渡しが右手の道路橋沿いにあった


生瀬宿は武庫川の河岸段丘上に発達した村で
荷物継立ての宿駅として大いに繁栄し
多くの運送業者が居住していました。
昔ながらの妻入建築の民家は
阪神淡路大震災で数を減らしています。

河岸段丘上の村だからこその悩みとして
武庫川が横にあるにも関わらず水利が悪く、
支流である太多田川の上流から水路を作って
水を引く必要があったそうです。

生瀬駅。
開業当初は有馬口駅と呼ばれて
有馬温泉へ行く多くの人がこの駅を利用しました。
ここからは約10キロほどの道のりになりますが
当時の道路事情を考慮しても半日あれば着く計算です。
こういう立地から明治になっても宿場が賑わっていたのですが
交通体系などの変化から長続きはせず衰退していきます。

国道176号といえば
平行する中国自動車道が大渋滞の時は
こちらも阿鼻叫喚になることで有名ですね。
国道176号は武庫川沿いに名塩、三田へと抜けますが
有馬道は太多田川橋から六甲山中へと進路を取ります。


「右 三田道」「左 有馬道」
大阪市南区の文字があるので明治初期以降のものでしょう。


JR福知山線の旧橋脚。
煉瓦造りの橋脚はおそらく開業当時の遺構ですね。
ここから県道沿いに進みます。
太多田川を横に眺めながら勾配自体は大変緩やかです。
有馬へ行くにも関わらず山登りを意識せずに歩けるというのは
昔からよく使われていた道である証でしょう。

ただ、江戸時代の状況はというと
有馬温泉への湯治客が頻繁に往来するにも関わらず
道らしい道はなく太多田川の岩だらけの河原の道筋で
特に船坂までの一里は川を左右に行ったり来たりだったので
「四十八飛び」あるい「四十八ヶ瀬」と呼ばれていました。

なので県道部分はほとんど明治以降の道になるわけですが
道幅はそれほど広いわけではなく歩道もない状態なので
今の時代でも難所であることは変わりません。
紅葉シーズンを別とすると
この時間だと交通量は少なく快適に歩けました。

蓬莱峡、知るべ岩付近で県道は大きくヘアピンします。
知るべ岩とは太閤さんが有馬入湯の際に
旅人が座頭谷に迷い込んだという話を聞いたところ、
迷わないようにと ”右ありま道”と岩に刻んだと言われています。
知るべ岩はどこかー
必死に探したのですが残念ながら見当たりませんでした。
大きな岩で上には標石もあるそうですが・・・。


さて、旧道はヘアピンへは進まずそのまま直進します。
すると20系客車のブルートレインを使った宿(廃業)が現れ、
その先には廃道が残っています。


しっかりした路盤です。
道幅は狭くおそらくは明治道になると思います。
この道筋は古い地図にも載ってるもので
交通量が増えた時期から今のヘアピンが出来たのでしょう。
蓬莱峡バス停横で県道に合流します。



やがて船坂地区に入ります。
ここで四十八瀬と呼ばれる区間が終わります。
随分と細い水量になった太多田川ですが
この水量の時ならば四十八瀬も楽だったでしょうね。

近辺の主要な中継地として発展した船坂は
湯山街道の案内看板が豊富にあります。
ちなみに湯山とは有馬温泉のことで昔の呼び名です。
集落内は平坦ではなく緩やかな坂が続いています。

名所の”清水”はこの日は枯れていました。
三つに仕切られ上流側から飲み水用。食器洗い用。
そして野菜洗いと洗濯用になっています。
県道建設で大幅に水量が減ったそうです。


学校の校庭のような場所を横切ります。
船坂小学校は西宮市で最も歴史のある小学校で
明治6年2月1日に善照寺本堂を仮校舎として開校しています。

船坂を俯瞰。


再び県道を進むと白水峡。
なかなか圧巻な光景ですが木々に遮られる場所が多く、
道路に路肩がないので気づかずに通り過ぎる人が多そうです。


県道はいくつも改良された跡が残っています。
旧の道筋は古地図を見ればわかるのですが
山の中ということで不鮮明な場所が多く
周辺は地質的に脆いので探索するには勇気がいります。
それでも大丈夫そうな場所は突入するわけですが
やはり藪道となるとテンションがあがりますね。


温泉街が見えてきました。
この付近は杖捨坂。
観光客が増えてきます。
有馬温泉内は古い絵図が多数残っているので
ほぼ昔の道筋で歩くことができます。



湯本坂と呼ばれる街道筋は古い家が残り
街道情緒がいい感じです。
夜は夜で素敵な雰囲気があります。



左手に金の湯(一乃湯、二之湯)を見ながらゴールへ。
それにしてもこの時期の六甲はまだまだ冷えますね。
金の湯に入浴して体が温まるまで時間がかかりました。
ようやく有馬道シリーズが終わりとなりましたが
今回の区間は廃道あり旧道ありの見ごたえたっぷりで
距離も手頃でゴールには温泉もあるという充実した区間です。
ハイキング気分で歩けるので大変楽しめるかと思います。
ただし、くれぐれも車にはご注意を。
【カテゴリ:有馬温泉への街道の関連記事】
こんにちは。
いつも楽しく拝見させていただいております。
有馬温泉への道の良さはウォーキングやハイキングの後に
温泉で疲れを癒すことができることですね。
私は以前、阪神深江駅付近から有馬温泉へ至る魚屋道を
歩いた時に最後に温泉に入ってとてもすっきりしました。
魚屋道はにゃおすけ様が歩かれた宝塚経由の有馬道とは
歴史的には敵対的?な道ですね。
魚屋道を使ったら早朝深江を出発すると
昼には有馬に着いてしまうんですから、
にゃおすけ様が歩かれた道筋と距離、時間を考えれば、
鮮魚を魚屋道で運搬した理由がわかりました。
機会があれば、宝塚経由の有馬道を歩いて金の湯で
疲れを癒したいと思います。
魚屋道と今回の有馬道では需要がどうも違うようで
魚屋道は神戸付近から山越えで有馬へ向かう人が多く利用して、
今回のものは大坂や京から来る人がよく利用したと思われます。
もっとも、魚屋道も有馬温泉を通じる道ということなので
有馬道であることに変わりありません。いずれ踏破したいものです。