2019年11月01日

長崎街道その4・冷水峠→西鉄筑紫駅

飯塚宿からの続きになります。



IMG_1610.jpg

峠には群境碑と大根地神社への道標が立っています。

ここからの下り坂はそれほど急なものではなく
楽に歩くことができます。ただし石畳はありません。

やがて旧冷水道路に合流します。
バイパスと違って交通量は少な目です。

IMG_1614.jpg

IMG_1617.jpg

広い道に出てホッとしたのも束の間、
この先は消滅した箇所がかなり多めです。

まず、下の写真の場所では
右の木立の中を進む道筋があったそうです。

IMG_1619.jpg

雰囲気的に一見するとただの森に見えるのですが
反対側を見てみると路盤と思われる痕跡があるんですよね。

こういう場所は如何に見つけることができるかですが、
それは事前に資料での調査をしているからに他ありません。

IMG_1620.jpg

長崎街道では「長崎街道/大里・小倉と筑前六宿」を参考にしています。
この資料の良いところは廃道になった区間でも地図に描かれている点で
安全性重視と違って史実重視なので好感が持てます。

道中で見かける長崎街道の案内看板も
この資料を元に作ったのかと思う場所が多い気がします。

IMG_1625.jpg

たとえば、この場所。

長崎街道の看板が右手にあるのですが
普通なら入らないような場所に立てられています。

獣除けの網に沿って道があったと思われますが
網が旧道のほぼ真ん中に設置したせいで狭くなっています。
おそらく夏場は厳しいでしょう。藪漕ぎは必至です。

IMG_1627.jpg

IMG_1629.jpg

IMG_1631.jpg

この場所の出口にも案内看板がありました。
昔の道を忠実に歩きたいウォーカーにとっては嬉しいですが
一般のウォーカーが入ってしまった時のことを考えると少し心配です。

IMG_1638.jpg

IMG_1657.jpg

この区間の廃道箇所として特筆すべきは鍋峠付近の場所です。

川が渓谷なので難所だったことは容易に想像できますが
こういう場所は時代によってルートが変貌するのが常です。

江戸期、明治期、大正期、昭和期・・・

江戸期の道は川の左岸(下の写真では右手)を進んでいたようです。

IMG_1660.jpg

明治以降は川の右岸(写真では左手)に道が作られ、
途中にある橋で左岸(写真では右手)に繋がるよう改良されています。
ちなみに昭和期はというと今のバイパス道路になりますね。

この付近の変遷は調べてみると大変面白いもので
詳しくはヤマレコに書きましたのででご参照ください。

IMG_1673.jpg

IMG_1676.jpg

鍋峠を過ぎるとバイパスの横を進みます。

この付近の旧道に見える道は元々の街道とは別の道で
元々は旧冷水道路に沿うように通っていたと思われます。
おそらく痕跡は大胆な道路建設でごく僅かでしょう。

下の写真の位置が旧道が復活するポイントです。
正面に森が見えますが大日如来碑などがあるみたいなので
その横を旧道が通っていたと思われます。

IMG_1679.jpg

IMG_1680.jpg

ここからは旧冷水道路を下っていきます。
バイパスではないので交通量は少な目です。

山家宿はそういう場所にある静かな宿場です。

IMG_1702.jpg

IMG_1706.jpg

白壁が美しい家並み。
宿場内のあちこちに恵比寿様がおられます。

下の写真の右手に御茶屋(本陣)がありました。

IMG_1711.jpg

IMG_1710.jpg

IMG_1716.jpg

ここで目についたのは昭和5年の案内看板。

当時の案内看板と呼ばれる部類は、
多くは木製だったため現存してるものは少なく
この石造りのものは昔の案内板を知る上で大変貴重なものでしょう。

多用されてる「なり」の文字は時代を感じさせますね。
内容的にはここに西の出口がありました的なことが書かれています。

IMG_1713.jpg

IMG_1722.jpg

昔ながらの道筋を下っていくと
住宅街に入り筑紫市街地が見えてきました。

今回は西鉄筑紫駅でゴールとしました。




 
posted by にゃおすけ at 14:57 | Comment(0) | 長崎街道 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: