2020年03月09日

旅好きになった原点を紐解く。その2

中学生に入っても鉄道好きは相変わらずで、
1人で鉄道を使った旅をすることが増えていきます。

優待券を使って伊勢へ行ったり、京都へ行ったり、
当時、弁天町にあった交通科学博物館に行ったりと、
近場のあちこちへ宿泊を伴わない旅をしていましたが
観光地や名物は金銭的な面からスルーでした。

今思えばもったいない話ですが
旅は何かの目的があってするものですから
乗車するだけで幸せだった当時は満足いくものでした。

学校では普通の中学生を装っていましたが
家に帰ってからの愛読書といえば鉄道雑誌でした。
大学生になるまでは毎月購入していたと思います。
ネットの普及と読む時間の減少で購入しなくなりますが
本という媒体は知識や興味を維持していくには
大事な存在なんだなとつくづく思いますね。
読まなくなると鉄道への関心が徐々に減っていきました。

話を戻しますと、
この鉄道雑誌には鉄道黎明期など古い記事もあるわけですが
ゴツイ旧型車両や鉄道施設の白黒写真を見てるうち、
おのずと時代背景にも興味が沸いてきました。
交通科学博物館の図書館ではバックナンバーが閲覧できたので
館内の見学よりも本が一番の目的だったことがあります。

今では歴史が好き好きでたまらない人ですが
古いものへの興味はこれがキッカケだったんだと思います。
ただ、興味の中心は戦国時代や城といった歴史ではなく、
本格的に歴史が好きになるのは大学生になってからでした。

さて、学校での話です。
クラブは「野外探索部」というのに入っていました。
簡単にいえばみんなで遠足に出かけるという活動です。

二色浜という場所へ潮干狩りに行ったときのこと。
大まかな行き先は顧問が考えてくれるのですが
電車は何に乗ればいいかなどは部員で考える必要がありました。

市内から遠方なので急行→普通と乗り継ぐのが一般的ですが、
当時は緩急接続の概念をあまり理解していなかったので
普通電車に乗れば着くとみんなで考え乗り込みました。

とてつもなくえらい時間がかかり大変でしたが、
顧問は口を挟まず生徒の自主性を尊重してくれていました。
みんなと一緒に考える手作りの旅は実に楽しいものです。
今でも記憶に残る旅ですが肝心の潮干狩りは記憶にありません(笑

他の活動としては近くにある生駒山へのハイキングや
真夏の夜の学校の中を探検することもやりました。
夜の学校は普段は賑やかな場所なだけに本当に怖いものです。
今思い出しても恐怖しかありません。

このクラブ活動では旅の楽しさを教えてもらいました。
体育会系のクラブもいいですが文化系のクラブもいいものです。

続きまして高校時代のお話です。



   
posted by にゃおすけ at 09:44 | Comment(0) | 懐かしい記憶 | 更新情報をチェックする
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