2020年03月24日

旅好きになった原点を紐解く。その3

高校は無難に入れる近場の学校を選びました。
元は鉄道学校だったことは入学後に知りましたが
鉄道会社とのパイプは太いままで就職に有利だったものの
校内はいたって普通の男子校の雰囲気だったと思います。

他の高校にない特長のひとつとして
希望すれば駅での実習やバイトを経験できました。
自分自身の趣味は相変わらず鉄道旅行でしたので
実習やバイトは現場を体験できる絶好の機会ととらえ、
まずはJR京橋駅で実習させてもらっています。

実習といっても本番さながらです。
駅の改札口に実際に立って切符を切ったり清算をしたり、
ホームでは安全確認をしたり案内放送をしたり。

北陸方面への珍しい臨時列車が来た時に放送していたのですが
停車する駅の「石動」の読み方がわからず一瞬無言になり、
放送中にも関わらず駅員に確認したなんてことがありました。
今だと音鉄が放送を録音したであろう貴重な列車です。
ネットに晒されていたと思うとゾッとしますね。

切符を切ると書きましたが当時は自動改札機は珍しい存在で
改札ブースに立って入鋏ハサミで切符を切るのが日常でした。
入場は日付と発駅を確認するぐらいの簡単なものですが
出場は京橋を起点とする運賃を丸暗記しておかねばならず
地方の駅からの清算と言われた時にゃてんてこ舞いでした。
京橋駅の乗降はかなりの数ですから戦場みたいなもので
逆によく高校生にやらせていたなと今になって思います。

そんな最中の休憩での駅員さんとの会話は楽しいもので
「混雑してるときは客に切符を持たせたまま切るんだよ」とか
本当かどうかわかりませんがいろいろと良い思い出です。

夏は南海電車の加太線で駅員バイトをやりました。
普段はのんびりとしたローカル線なのですが
夏場は海水浴で賑わう路線です。

大阪からの通勤は片道2時間。往復だと4時間です。
そんな時間あれば勉強しなさいと怒られそうでしたが、
通勤は苦痛ではなく毎日が旅行感覚でした。

このバイトで何が良かったかですが
住んでる場所と違う和歌山を体感することによって
和歌山に疑似的に住んでいる感覚になれたことでしょうか。
駅員という仕事を通じて現地の人とふれあっていると
旅では見つけれない発見がいろいろとありました。

そういえば、磯ノ浦駅は目の前が海水浴場だったので
水着ギャルが電車の時間を聞きにくることがよくありました。
そんな大胆なギャルは駅周りが宅地化になった今でもいるのかな?
なにわともあれ目の保養もあるお得なバイトでした。

ちなみに冬は郵便局でバイトをしていましたが、
時給が良く3年間やってはいたもののイマイチでした。
年賀状の仕分けは単純すぎて向いてなかったのでしょう。

バイトで貯めたお金の大部分は旅の費用にあてました。
中学時代から続けていた近郊の鉄道旅行はもとより、
お得な切符を使って遠方への遠征も果たせました。
無論、この時期は鉄分の濃い旅行です。
観光地を網羅していくような旅はまだまだ先の話です。

初めての関東遠征では得るものが多くありました。
特に有楽町駅の下で食べた吉野家の牛丼は最高でしたね。
当時の大阪にはそんなに進出してなかったですから。

あと、東京で驚いたのはラッシュの光景でしょう。
代々木上原駅でのこと次から次に来る列車は全て長編成にも関わらず
全て超満員。いつもこんな感じですか?と駅員に尋ねた記憶があります。

私が住んでいる大阪も相当な大都市なはずです。
ある程度の東京の様子は本やテレビで想像ができていたのですが、
やはり百聞は一見に如かず。実際に行かないとわからないものです。

次回は大学生でのお話です。
ようやく歴史好きになる転機が訪れます。




posted by にゃおすけ at 11:17 | Comment(0) | 懐かしい記憶 | 更新情報をチェックする
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