2020年07月13日

天国だった乗鞍山頂 〜松電バイト記憶からその4〜

松電バイトの繁忙期の中でもGW、お盆、秋の3連休は
早朝の登山客のピーク、9時頃からの観光客のピークに加え、
帰りは雪崩のような下山輸送と1日中多忙を極めていました。

そんな多忙から少しだけ開放できたのが
新島々および上高地からの乗鞍山頂への路線でした。
山頂近くまでバスで行くことが出来るので登山客は少なく、
ほぼ全員が普通の観光客だったと思います。

そういう客層だったので新島々の初便は8時ごろで、
登山客が多い上高地行きの4時台始発とは随分と対照的でした。



乗鞍山頂畳平というバス停は標高2,702 mで、
日本最高所にある路線バスのバス停です。
当然ながら涼しく空気が薄い場所ですが
普通に過ごしていれば快適そのものでした。

この路線は折り返し時間に結構余裕があったので
その時間を利用して登山したり食堂に行ったり、
日頃の寝不足を補うべく後部座席で寝ることもありまして、
その寝心地はブルートレインのような気持ち良さでした。

ところが、この天国のようなひと時も、
雨が降ってくれば一気に冬になり、まるで地獄でした。
客層は普通の観光客が多いと書きましたが、
ほとんどの人は軽装なので重装備はしていません。

「日本で最も登りやすい3,000m超級の山」
「ハイヒールでも上れる山」

と、称されるほどなので軽装でも当然なわけで、
冬の寒さから早めにバスの中に入ってもらうことになり
せっかくの快眠空間がぁぁ…といった具合です。

もちろん、乗務員もそれほど防寒対策はしていません。
発車まではバスの入り口で立って改札せねばならず、
震えながら早く出発時間にならないかと思っていました。



バイトの食事は一食100円で食べることができました。

寮のある新島々の食堂はヘルスと呼ばれていたのですが
昼に作られた置きっぱなしのものを夜に食べるので
お世辞にも美味しいとは言えないものでした。
(ここだけの話、腐ってることが多かった!)

上高地の食堂では、朝と昼に頂きました。
朝は食卓の中央に丼に入った納豆がドーンとあったのですが、
なにせ、関西だとそういう習慣はないので度肝を抜きました。
無論、食卓から漂ってくる匂いは・・・強烈でした。

でも、それ以外に関しては新島々とは雲泥の差で、
特に昼のカレーは美味で仕事の肥やしになったものです。

一方、乗鞍山頂での食事は極上そのものでした。
松電直営のロッジの一般向けの食堂が利用できたのです。

カレーにラーメンに丼物に、いくらでも頼めました。
そしてデザートにソフトクリームも頂いたりして。
もちろん料金は100円ポッキリ!

うーん、まさに天国!

ちなみに、翌年のバイトからは
一品100円みたいな制限がかけられていました。

どうも食い過ぎていたようです。



この路線の渋滞は基本的にはないものでしたが、
天気が良い時は畳平の駐車場待ちの列が出来ました。

当時はマイカー規制がなく乗鞍の観光目的の車以外にも、
混雑する安房峠を避けて迂回してくる車もいたので、
結構、長い列になることがあったと思います。

それにしても、窓から眺める景色は雄大です。
晴れた日は遠くまで見渡せるのはもちろんのこと、
9月の紅葉は見事の一言で実に圧巻な光景でした。

車掌はこういった景色を眺めながら乗務するのですが
途中での乗降が滅多にないので手持ち無沙汰気味で、
ひたすら眠気との闘いになっていました。

ちなみに、バスには車掌席なるものがあります。
前の扉の横に存在しバタンと倒す簡易的なものだったのですが、
せっかくあるにも関わらず乗務中は座ることができません。
そういう謎ルールがあったのです。

仲の良い運転手さんだと
「まあ、座っていけや」となったのですが、
大体は、1日中立っていたことが多かった気がします。
中には回送の時だけ座らせてくれる運転手さんもいました。
そういう時は、まるで宝くじに当たったような気分でした。

立つことは業務する上で色んな意味があったと思いますが、
足腰への負担は山岳路線ばかりなので相当なもので・・・。

こういうことから、車掌の中には、
運転手の許可なく勝手に座る輩がいまして、

運転手「なに勝手に座ってるんじゃい!ゴルァ!」
車掌 「お前も座ってるやないけ!ゴルァ!」

と、喧嘩になった話もあった次第です。
でも、これはまだカワイイほうです。

安房峠の路線で喧嘩をしたという輩は、
運転手もキレて峠の途中で降ろされてしまったことも。
当然、その後は問題になりましたが衝撃的な出来事でした。



おわりに。
松電バイトは雑誌で偶然見つけたのをきっかけに
大学の休みを利用して4年間やっていました。

広告に書かれた給料は大した金額ではなかったのですが
実際は、時間外労働になると乗務ごとに手当てが付いたので
片道30分のような短距離乗務が多い時は特に稼げました。
それは、ピークの月の給料で50万円にもなったほどです。

結構、ハードに働いたつもりだったのですが、
不思議と疲れというか、そういうものはなかった気がします。
楽しく出来ましたし、若さ故のものだったのでしょう。

機会があればもう一度乗務したいと今でも思います。

この次は番外編として国道158号のことを書いていきます。



  
posted by にゃおすけ at 10:24 | Comment(0) | 懐かしい記憶 | 更新情報をチェックする
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