関西の軽井沢といわれるくらい冷涼なところで」
昭和30年代発行の「写真で見る日本」からの一文です。
避暑地らしく多くの宿にはクーラーがありません。
無くても十分に涼しい標高800mの場所にあります。
大阪の人だと林間学校で訪れたことが多いと思います。
かくいう私もその1人で宿は大人数なので分散して泊まりました。
驚くことに洞川には温泉街によくある巨大ホテルがないのです。
そのおかげで今も町並みは洗練されていて
純和風木造建築の旅館や民宿が軒を連ねています。
避暑地で温泉もあって大都市からも近いのに
巨大ホテルがないのは不思議と思えるのですが、
理由は洞川の歴史に関係しているものと思われます。
まず温泉ですがボーリングによって発掘されたものです。
よって古くからの歴史はなく比較的新しいものです。
そして客層は大峯山の門前町であることから、
山上ヶ岳の蔵王堂をめざす修験者が多いのが特長です。
洞川は修験者にとって疲れを癒す場所でもあったので、
夜の遊興施設は皆無に等しく静かなものです。
もし、温泉が古くからある秘湯であったならば
少々事情が変わっていたのかもしれませんが、
山奥なので有馬温泉のようになっていたかは疑問です。
多くの旅館の道路側には縁側が備わっています。
そこに座って夕涼みなんて気持ちの良いものです。
気になる本があれば読みふけってしまうことでしょう。
そういう縁側も実は他に重要な役目がありました。
昔は宿に限らず家に入る時は足を拭くのが基本で、
手ぬぐいで拭いたり手桶の水で綺麗に洗ったりします。
しかし、大勢で一気に来られた時は時間が掛かってしまうので
縁側で横一列になって拭いて中に入ってもらうのです。
ある意味、縁側は玄関といえるかもしれません。
今回は普段は近いからと日帰りで行く洞川なんですが、
GoToトラベルのおかげで泊まって初めて知ることが多いもので、
他にも、館内の階段には滑り止めがないことに気づきました。
そもそも、江戸時代からの宿は館内では皆裸足だったので
滑り止め自体が不必要なものだったに違いありません。
そこを靴下を履いて上り下りしたものだから滑るのは当然で、
スッテンコロリン。ひさびさに転げ落ちてしまいました。
まー、これは注意しなかった自分が悪いんですけども。
古い宿では昔のスタイルで過ごすほうがいいかもしれませんね。
洞川への交通ですがトンネルが開通したことで
随分と便利になりました。大阪からでも2時間半程度でしょうか。
大峰山で修行する人も早朝に家を出て洞川に9時に着けば、
修行をしても夕方には洞川に戻ってこれるのだそうです。
もちろん、そのまま帰宅という人もいるでしょう。
近年は「ごろごろ水」という名水でも人気が出て、
水を汲むための行列が毎日のようにあるといいます。
しかし、昔の交通はどうだったのでしょう。
大峯山へは古くから大峯奥駈道がありましたが、
次第に現在の県道48号線の道筋がメインになっていきます。
洞川での言い方で「ならみち*」と呼ばれた街道です。
メインが移った理由としては険しかったことがあり、
しかも体を休める洞川を経由しない点で不便だったことで、
行きは大峯奥駈道でも帰りは別ルートが多かったといいます。

国土地理院『山上ヶ岳』五万分一地形圖
時代は流れ、川合経由の道が改良されると
若干遠回りでも便利なのでそれまでの道は廃れていきます。
ちなみに県道48号線の小南トンネルは素掘りのものです。
高さ制限も2mでいわゆる酷道。興味ある方は是非。
以上、洞川について書いてみましたが、
やはり古い時代を知るには実際に古い宿に泊まってみると
体感できて今まで知らなかったことが見えてくるものだなーと。
今回の旅ではそういう意味で非常に有意義なものでした。
*出典 大峯奥駈道調査報告書 奈良県教育委員会 2002.3
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