歩く前のイメージでは大辺路は歩く人が少ないので、
荒れまくっているのではと覚悟していたのですが、
実際に歩いてみて、そういう場所が多めでした。
大辺路の成り立ちはいろんな説がありますが、
海に沿った道なので海路での移動も一部あったようで、
全区間を陸路で踏破する人は案外少なかったのではと思います。
どちらかというと地域の生活の役割がメインだったのでしょう。
それは道中にある道標の数の少なさからも見てとれ、
また中辺路や紀伊路にあるような王子社も少ないものです。

ただ、大辺路の景色についてはダイナミックなものがあり、
近世の文献をひもとくと参詣の復路で使った記述が残っています。
温泉に立ち寄ったり、捕鯨の様子に驚いたことが書かれてあるので、
帰りはせっかくなら別ルートでと考えた人もいたでしょうね。
ちなみに、大辺路の確固たる史料は江戸時代まで待たねばなりません。
この頃になると紀州藩が熊野街道として整備した時期と重なります。
熊野古道の「古道」とは江戸時代より古いイメージが頭にあるので、
古道時代の資料が少ないと古道歩きというより熊野街道歩きになりかねず、
ルートも曖昧な場所が多いので当初は歩くかどうか大いに悩みました。
もっとも、中辺路や小辺路においても
平安時代からの道がそのまま残ってるわけではありません。
その辺りは十分承知してるので大辺路は割り切って歩くことにしました。

大辺路にはルートマップが自治体によって用意されています。
これはこれで大変ありがたいのですが
自治体のマップは基本的に安全性を一番に考慮しています。
よって、本来の道が少しでも危険がある道になってる場合は、
特段の記述なく迂回路を案内していることがあるのです。
せめて何かの記述があれば納得できるものですが、
忠実に歩きたい層にとっては物足らないのは否めないでしょう。
しかし、マップは一般の人にとって「ある」と「ない」では大違いで、
歩く目安という意味では本当に役に立つものです。

例外的に六坊浜のような場所がマップに載ってることも
困難があるほど昔の道を調べるのは楽しいものです。
大辺路に関してはいつも以上に念入りに調べていました。
今回、特に有難かったのは「大辺路刈り開き隊」の存在です。
串本周辺になると手作りの「大辺路」看板を見かけますが、
その殆んどは彼らによって立てられたものです。
知られざる山越えの区間では廃道になってるように見えても、
綺麗な切通しが残っていたり、石畳があったりするなど、
思わぬ発見と驚きで昔の往来を感じることが出来ました。
しかしながら、そういった場所は困難がつきものです。
藪に阻まれたり、道筋が不明瞭だったり、崖があったりと、
熊野古道大辺路というビッグネームを鵜呑みにして、
軽装で歩くものなら遭難もありえるような場所もありました。
それは、歩くためのガチ装備をしてる私でさえ泣きが入るほど。
ほんと、大辺路半端ないって!

以上、過酷な面ばかり挙げてきましたが良い点もいくつか。
★関西からだと比較的交通に恵まれている
全区間に渡りJR線に沿ってる点は安心できるところで
しかも特急が走ってるので大阪からも楽々アクセスが可能です。
また、車でのアクセスも高速道路が随分と伸びたので、
場所によっては鉄道より便利かもしれません。
ある日の行程では、駅近くの宿を取って車は宿に置いたまま、
街道歩きのスタート地点へは電車で移動ということをやりました。
普通列車の本数が少ないので時間に注意が必要ですが、
地元の雰囲気が味わえて良かったなと思います。
★宿が比較的多い
海沿いには民宿が多く夏場は特に賑わいますが
それ以外は空いてることが多くリーズナブルに泊まれるようです。
★安居の渡しという昔ながらの渡し舟が存在する
事前に予約が必要ですが、珍しい貴重な体験ができました。
★峠から海を眺めたりと海と共にある街道を堪能できる
大辺路は地図を見れば海沿いのルートに見えますが、
実際はそういう区間は少なく峠越えが結構あります。
そのため、全般的にハードではあるのですが
そういう苦労を乗り越えての海の眺めは格別なもので
中辺路、小辺路にない大きな魅力といえるでしょう。
ざっと、こんなところでしょうか。
あと海の幸を楽しめるってのも良いですね。
以上です
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