紅葉で有名な談山神社までを結ぶ道なのですが、
まず読み方が難読ですよね。「とうのみね」と読みます。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

伊勢街道(横大路)との追分。
桜井は町として発展するのは戦国時代になってからで、
この追分で市が開かれ次第に宿場町へと発展していきます。
今は何気ない普通の交差点に見える場所ですが、
かつて全国の町の中心部に置かれた道路元標があることを見ても
実は重要な歴史のある場所だったことがわかります。
桜井が大きく飛躍するキッカケになったのは、
明治からで吉野や宇陀の木材集積地になったことが要因です。
とはいえ、多武峰街道に関しては桜井の町以上の歴史があります。
それは最古の古道「山の辺の道」に繋がる道と言われるほどです。

道路元標。櫻井町表記。

片側だけ残るアーケード。かつて賑わう場所だったことがわかる。
街道沿いには歴史ある名所が点在しています。
桜井のいわれになった「桜の井」はその一つ。
若櫻神社の鳥居のあたりに復元されていますが、
今から約1600年前、履中天皇が井戸のほとりに桜を植えて
清水をめでたという話が残されています。
全国各地にある「井」と付く地名は、
井戸がいわれになってることが多いと思うのですが、
桜井の「井」は相当古い部類に入るかもしれませんね。

桜の井

歩みを進めていくと大きな立派な鳥居が現れます。
談山神社の北の入り口にあたる「一の鳥居」です。
この鳥居は1724年(享保9年)に建立されたもので、
よく見ると右側が少し欠けているように見えます。
かつて鳥居の周りには茶店などが立ち並び、
参拝者の良い休憩所になっていたといいます。
ところがその店の一つが火災になってしまいます。
ようするに火災の影響で欠けたというわけです。

今は鳥居の右手に道がありますが、
旧道は鳥居をくぐっていたと考えるのが自然でしょう。
参拝者が鳥居を避けるなんてないでしょうし。
ここから先は町石(丁石)が約200mごとに見られます。
全部で52基作られたもので同一形状の板碑型をしています。
これが談山神社の摩尼輪塔まで続くのだから大したものです。


設置は承応3年(1654)なので比較的古く、
そのせいか現存しているのが2/3程度しかありません。
場所によって200m以上の間隔が開いてる箇所があるので、
おそらく行方不明などで消滅してしまったのでしょう。


聖林寺との分岐点に立つ道標。
聖林寺は奈良時代に建てられた談山神社の別院です。
国宝の十一観音菩薩が安置されているので
わざわざ寄り道して見る価値があるものと思います。
しかも、寺を建てたのは藤原鎌足の長男というから驚きです。
次第に川幅が狭くなっていきます。
勾配もきつくなってくると県道と合流します。



紅葉の緑が綺麗なこと!
県道は狭く歩道がないので、
ゆっくり歩くなら今の時期がいいでしょうね。
これが紅葉シーズンだと交通量が多く大変でしょう。

音羽山への分岐点には道標があります。
右、多むのミ子 左、お登者さん
「奈良県の道標あつめブログ」を参考にしていますが、
この道標は難易度高めですね。でも、なんとなくはわかります。
道標が指している行き先から推測できるからです。
昔は縁起担ぎファーストな時代でもあったので
好き勝手に由来と異なる漢字を充てていた印象があります。
現代は常用漢字表の枠内で考える頭になってしまっているので
合致しないものは「当て字」と解釈されることもあり、
読むにはウーンと悩ませ難しくしている理由かもしれません。

不動の大岩。不動明王が祀られています。
横から見ると刀で切ったように両断されています。
慶長13年ごろに談山が鳴動したときに割れたと伝えられるもので
見る限りは人工的に割ったものでないのは明らかです。
半ば、伝説的な話なのかもしれませんが
あまりの切口の鋭さには一見の価値があります。
大岩のすぐ横には不動の滝があります。
着替え小屋があったので修行する人が多いのでしょう。


屋形橋。この橋を渡れば談山神社の入り口です。
ここは街道の分岐点になってる場所で
吉野や和歌山、伊勢へも続く方面の道には
松尾芭蕉や本居宣長など多くの文化人も歩いたそうです。
屋形橋は寛政三年に初めて架けられたものですが
現在のは昭和五十四年に再建されたものです。
なので見た目は古くとも歩いて渡ることが可能です。


東大門。辺りは寺のような雰囲気が漂います、
それもそのはず談山神社は明治まで妙楽寺という寺でした。
立派な門は紅葉とよく合いますね。
道沿いには城にあるような石積みがそびえ立ち、
それらを眺めながら最後の急こう配を上っていきます。


摩尼輪塔(まにりんとう)。
談山神社が寺であったことの名残ですね。
乾元二年(1303年)の銘があり、上に笠石が置かれ、
円盤には「大日如来」の種子アークが刻まれています。
やがて、談山神社の門前町に入ります。
8時半の開門前に来れたので非常に静かな空間でした。

さいごに。
一言で言い現わすならば
「短いながらも満足のいく街道!」です。
渓流、滝、町石、ほぼ全区間に渡る旧道、
程よい距離。そして、有名な談山神社。
これからの時期だと紅葉が加わります。
もっとも晩秋でなくとも緑の紅葉は癒されるもので、
マイナスイオンたっぷりな中を歩くことができるでしょう。
こういう街道をどんどん発掘していきたいですね。
主要街道から分岐する参詣道はとても魅力的です。

【カテゴリ:大阪近辺の街道の関連記事】