西側はそれほど多くない印象です。
とはいえ、奈良は歴史が深い場所です。
全国的に有名でない名所が数多く存在しています。
その一つが宝山寺です。
Googleストリートビューより
第二阪奈道路を大阪方面に走っていると
生駒山の山麓に突き出した小山が見えてきますが、
これが宝山寺にある『般若窟』というもので
実は溶岩ドームなんですよね。
奈良に火山?と驚かれるかもしれませんが、
中生代、古瀬内火山に属する火山の噴火口だそうです。
ようするに大昔は生駒山という山は火山だったわけです。
その際に出た火山石は至るところで使われていて、
暗峠にある石畳の石もこれを流用したものですし、
二上山や屯鶴峯で取れるサヌカイトは有名ですね。
この般若窟には弥勒菩薩像が祀られています。
生駒山は古くから役行者の修験道場になっていて、
空海(弘法大師)も修行したと伝えられています。
おそらく般若窟も主要な場所だったと思われます。
宝山寺の歴史は意外と新しいもので
江戸時代の延宝6年(1678年)が事実上の開山です。
境内には江戸時代からの建築物が数多く今も残り、
中には昔ながらの釜で茶を出して草餅を頂ける茶店があるなど
まるでタイムスリップした気分にさせてくれます。
さて、宝山寺は大軌(現在の近鉄)と大変関わりがあります。
近代以降は「生駒の聖天さん」として大阪商人の信仰を集めて、
商売繁盛のご利益を求める人で大変な賑わいがありました。
大軌の生駒駅が開通してからは駅から伸びる参道が整備され
大正7年には日本最初のケーブルカーが開通します。
その後の大軌は近畿一円に拡大していくわけですが、
開業当初は生駒トンネル工事の支払いが重くのしかかり、
しかも乗客は雨の日は殆んどないという有様だったそうです。
そこで、取締役が自ら宝山寺に足を運んで
10万枚の切符と賽銭を交換してくれないかと直談判し、
宝山寺側も生駒トンネルのおかげで参拝に便利になったと、
快く了承し大軌を救ったのは有名な話です。
今昔マップより
ちなみに大軌が開通する前はというと、
生駒山を越える必要があり主に「辻子(ずし)越」でした。
大阪側の麓に石切神社がありますが
ちょうどそこから直線状に上っていきます。
道中には丁石が置かれ、茶屋の設置もありました。
ただ、峠の場所が他の生駒越えと比べ高い位置にあり、
それだけ歩く際の苦労があったと思われます。
南側には有名な暗越奈良街道が通っています。
ピークが低い暗峠経由で参拝する人もいたと思いますが、
峠道から分岐する道は立派と言える道ではなかったようなので
石切神社や興法寺も寄れる辻子越に人気が集中していたのでしょう。
『出典』生駒の古道 生駒民俗会著
あと宝山寺といえば門前町にある遊郭(料理組合)ですね。
現在の状況は随分と廃れてしまっているようですが、
前回訪れた時(高校受験)は現役の店が多かったように思います。
もちろん当時はなんの店かよく知らなかったわけですが、
怪しさだけはあったと記憶に残っています。
こういった遊郭の賑わいもそうですが、
生駒駅から伸びる参道の雰囲気(石段は1000段規模!)を見ると、
やはり宝山寺は近鉄との関わりが大きいなと実感します。
なにせ今でも年間300万人も訪れる場所です。
遠方の人にも是非寄ってもらいたいと思える奈良の名所です。
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大軌・生駒トンネルや阪奈道路が奈良北部にもたらした功績はすっごいんですね。石切りから直登やなんて??びびりまする。
たしかに暗いイメージはありますね。
石切からの直登は結構ハードのように見えるのですが
川沿いで水車小屋が多数あったようで意外と楽しかったのかもしれませんね。
辻子越えは近いうちに歩いてみたいものです。