2021年01月07日

ネットがない時代の鉄道旅

学生時代は鉄道全線完乗を目標に旅をしていたわけですが、
当時はネットがなかったので何かと不便でした。

まず、宿探しが一苦労。
時刻表の巻末にある宿一覧を参考にするのですが、
駅近くに目当ての宿がない場合はNTTのサービスに電話して
「〇〇駅近くの安い宿を教えてください」と聞いていました。
たしかハローダイヤルという名前だったと思います。

電話番号がわかれば現地の宿に直接電話して予約します。
今の時代はネットで検索すれば即予約が出来てしまいますが、
当時は手間が大変だったものの人を介して予約することは
これはこれでアナログ的な楽しさで良かったと今になって思います。

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長期に渡る旅での節約の一番のポイントは
いかに宿代を浮かせるかに尽きると思います。

近年は車を宿代わりに車中泊を楽しむ勢が増えたり、
ネットカフェなど格安で泊まれる場所が増えてきましたが、
当時は国鉄がJRに変わった直後だったこともあり
長距離列車は昔のまま全国的に維持されていました。

そういう列車の中には夜通し走る列車があり、
それを旅にどう組みこむかで旅費が随分と違いました。

そこで重宝したのが「ワイド周遊券」です。
一定期間、現地の特急や急行の自由席が乗り放題な上に、
行き帰りの往復乗車券と急行券がセットになっていました。

周遊券には「ワイド」と「ミニ」とありましたが
「ワイド」はかなりの広域が有効でした。

乗り放題の区間内に寝台列車が走ってることも多く、
風呂は銭湯や温泉で済ませて就寝は寝台列車にすれば
宿の問題は丸ごと浮いて節約といった具合です。

もちろん、寝台列車でも寝台は利用しません。
なにせ6000円ほどかかってしまうので旅費がかさみます。
寝台列車の中でも座席利用ができる列車を利用するのです。

例えば、東北旅行では当時、急行津軽と急行八甲田が現役でした。
青森で風呂と食事を済ませてから急行八甲田に乗り込みます。
長旅では疲れからすぐ寝付けるもので福島駅手前まで爆睡します。
そして、福島駅で下りの急行津軽に乗り換えるという手法です。

問題は福島駅での乗り継ぎが深夜3:00頃になるという点。
寝過ごしてしまうと別料金がかかってしまうので必死でしたね。
耳元に小型の目覚ましを張り付けていた記憶があります。

その点、九州や北海道は楽でした。
「ワイド」の範囲に収まる島内完結の夜行列車が走っていたので
乗車すれば朝まで爆睡できるといった具合で快適でした。

このように便利なワイド周遊券でしたが、
不正利用が後を絶たず廃止になってしまいます。
北海道版だと道内が2週間も乗り放題なわけですから、
切符の使い回しなど本来の目的以外で使われていたと聞きます。

さらに、分割民営化でJR各社に独自性が生まれていった時期で、
全国規模の企画券は廃止する方向だったのも影響しているのでしょう。

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銭湯の話が出てきましたが、
上記のような貧乏旅行をする人が一定数いたことで
駅前の銭湯ばかりを網羅した冊子が発行されていました。

今の時代は銭湯自体が少なくなってきているので、
掲載されてる銭湯の半分近くは廃業してるかもしれませんが、
あの時に通った銭湯にまた行ってみたいという気持ちはあります。

この歳になって再び同じような旅行をしたいと思っても、
寝台列車自体が風前の灯になっているので厳しいところです。
仮に走っていたとしても当時は若さ故に出来ていたものと思います。

旅の持ち物としては着替えなどの必須アイテム以外では、
大判の時刻表、銭湯の冊子、路線のガイドブックを持っていきました。
時刻表については時刻を調べる上で重要な役割がありますが、
夜行列車で寝るときには枕の役目も担っていました。

路線のガイドブックは「全線全駅鉄道の旅」というもので
沿線の歴史や景観、文化などの見どころが細かく書かれていました。
それを見ながらの旅情は何も知識なく乗ってることとでは大違いで、
「あの見えてる山は何か?」などの疑問はすぐに解決できました。

いくら鉄道好きでもただ乗ってるだけじゃ飽きてくるものです。
ある程度の知識を得ながらの旅は非常に有意義なものでした。






posted by にゃおすけ at 09:31 | Comment(0) | 懐かしい記憶 | 更新情報をチェックする
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