2021年02月24日

古墳地帯を往く・古市街道その2

前回は平野郷から大和川南側の大堀集落まで書きました。

深居神社に「古市街道」の看板が掲げられています。
こういうのはルートが不明な場所であるほど嬉しいですね。
事前の調べが合ってたことになりますし。

ちなみに明治以降は大和川堤防上の道筋が古市街道となり、
津堂集落で再び合流する形になります。
 
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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

深居神社は由緒によると創建は717年なので古いもので、
当時は周辺の集落をまとめた総産土神だったところ
後に小川集落だけの産土神となったそうです。

本殿に1660年の棟札があり、拝殿に1792年の棟札があります。
敷地は元は古墳址ではないかと言われています。

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小じんまりとした小川集落内を抜けると
田畑が広がりこれまでの景色が一変します。

小川集落の東端は古地図で確認してみると
集落と田畑の境が昔とほぼ同じことがわかります。
それは100年近く土地の使われ方が同じであることを意味します。

この先では道が舗装路から草道となる区間があり、
周りには高い建物はなく昔のような疑似体験ができます。
二上山が前方に見える景色は昔の人も見ていたことでしょう。

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藤井寺高校の付近に池がありますが
このような池は大阪南部でよく見られるもので
灌漑用として今も数多く存在しています。

それは新大和川の北側とは対照的な景色で、
いかに水の事情が悪かったかを物語るものです。

下の写真は橋にあった欄干で「馬街道」と書かれています。
詳細は不明ですが別名でこう呼ばれることもあったようです。
それにしても立派な造形をしていますよね。

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津堂集落に入ります。
津堂八幡神社は津堂城山古墳の後円部にあるのですが、
古墳は古市古墳群の北端に位置するものだそうで
最大級で最も古い部類のものとあり、驚きました。
空中写真を見れば一目瞭然でなんとも巨大です。

街道は古墳をかすめるようなルートを辿り、
古墳の端にあるのが小山産土神社です。

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案内板を要約すると社殿の蟇股は
藤井寺市内では最古の物で神仏習合社の証とあります。
室町時代に神宮寺として再建の折の祭神は牛頭天王でしたが
現在は素戔鳴命と櫛稲田姫を祀っているそうです。

深居神社もそうでしたが
この辺りは歴史が深いものが多いですね。

津堂から葛井寺にかけては南北方向の道筋になります。
長尾街道と交わる小山と岡の集落のあたりは
これまた立派な町並みが続く雰囲気の良い区間です。

古地図で見ると集落の規模が大きいことがわかります。
街道と街道の交わる場所ゆえ賑わっていたことでしょう。

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小山善光寺の門前にあった「日本最初善光寺」の文字。

これは「はて?」と思い調べてみると、
国宝の一光三尊仏は信濃善光寺の御本尊ですが
インドからやってきて大阪で行方不明になり時が経って拾われ、
長野に持って帰ろうとしたところ、この地で分裂したという話で
その片方がここに安置されてるとのこと。

いわば信濃善光寺と同等と言えるのですが初めて聞きました。
もっとアピールしてもいいのでは?と思ったのですが、
今の静かな境内は趣きがあり、これはこれで良いのかもしれません。

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藤井寺駅前付近ではアーケードになっています。
雰囲気的には東高野街道の瓢箪山となんとなく似ています。

朝早いこともあって閑散としてますが
日中は参詣者が多く賑わっていることでしょう。

その先にあるのが葛井寺です。
西国三十三か所の札所でもあります。
ここではお寺の説明は長くなるので割愛しますが
よろしければ以前訪れた時の記事をご覧ください。

西国三十三箇所めぐり。葛井寺と壺阪寺。
https://borabora.seesaa.net/article/446752515.html

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境内の門前にあった道標は多くの巡礼者の目に触れたはずで
壺阪、吉野、長谷寺、伊勢、道明寺、龍田、法隆寺、奈良の文字が見え、
次の札所の地名がしっかりと書かれてあります。

葛井寺での街道ルートは寺を囲うような形を辿りますが、
実際はこれほどの寺ですから皆さん参拝して通ったはずで
境内の中でゆっくりとされたことでしょう。

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立派な酒造の横を通ります。

野中を過ぎると立派な道標が2つ現れます。

1つは壺阪、吉野、藤井寺、大阪、堺、和泉の文字がある慶応年間のもの。
もう1つは伊勢や金剛山、高野山の文字がある嘉永年間のもの。

どちらも方角的には同じなんですが
後者は広域の地名になっているのは面白いですね。

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この辺りから明らかに古墳とわかるものが増え始めます。
見渡して小さな山があるなと思ったら大体は古墳だったりするものです。
世界遺産百舌鳥・古市古墳群の中心部へ入っていきます。

やがて誉田八幡宮を横に見て東高野街道と合流します。
写真は裏門ですが境内は河内一と言われる壮大さがあります。

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おわりに。
いつもなら家から平野までは鉄道で行けば良いのですが
出来ることなら混雑する駅を避けたいので車を利用しました。
車で平野駅まで行き、帰りは空いてる区間の鉄道で平野駅に戻る感じで
手間ではありますが感染リスク減らすよう心掛けました。

古市街道は、距離にして13キロ程度のものですが
大阪周辺の街道としては全般的に旧道がよく残っているほうで、
古墳など数多くの見所があり、飽きがこない良い街道でした。

距離も手ごろですしプチ散歩に是非おすすめです。

  

   
posted by にゃおすけ at 09:28 | Comment(0) | 大阪近辺の街道 | 更新情報をチェックする
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