2021年05月07日

旧大和川の痕跡を求めて

まずはこの航空写真をご覧ください。

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1948/11/22(昭23)大阪東南部

川の跡が見事なまでにくっきりわかると思います。
これは河内を南北に流れていた旧大和川の痕跡です。

今は大阪平野に入ると堺方面へと西進する川筋ですが、
江戸時代中頃の付替え工事によって人々の生活が一変します。

元の流路だった場所には新しい土地が生まれ、
それらの土地は主に新田となって発展していきます。

と、ここまでは河内の小学校でもよく学習する内容です。
ブログではもう少し掘り下げていきましょう。

新しいビットマップ イメージ.JPG
河内国図(八尾市付近)

遠い昔において河内には巨大な河内湖が広がっていました。
湖は大和川が運ぶ堆積物によって土地が形成されていき、
湿地を経て次第に住める土地へと変貌していきます。

それまでの住む場所といえば生駒山の山沿いが主でした。
古墳や古くからの集落が多いのはそのためです。

その後、平野部にも多くの人々が住むようになりますが、
大和川の堆積物は半端ないもので流路は次第に天井川となり、
洪水ともなれば大きな被害が度々おこっていました。

そこで考えられたのが大和川の流れを抜本的に変える工事で、
構想自体は奈良時代以前からあったといいます。

付替えの結果、旧流路には農業用水用の河川だけ残し、
河内湖の名残りであった深野池、新開池なども干拓されて、
それらの場所は新田開発が主になされ発展していくこととなります。

この付替えによる利便性は地続きになったことで
街道一つをとっても一層便利になったことでしょう。
特に奈良や伊勢を結ぶ暗峠越えは革命的だったでしょうね。



上のビューは八尾市内のものですが、
かつての堤防沿いには今もこのような段差が残っています。

付替え以前からあった古い集落周辺においては、
堤防だった内(旧流路)と外では雰囲気がどこか違います。

なんといいますか、歴史の重みでしょうか。
入り組んだ狭い道、寺や神社が多いのはもちろんのこと、
石仏が数多く点在しているのは洪水が多かった証拠と思われます。

一方、新しく出来た土地(旧流路)にはそれらは殆んど見られません。
このように旧堤防を境にしただけで雰囲気が今も違うのは面白いものです。

新田といえば旧流域では「鴻池新田」が有名でしょう。
旧大和川流域には数多くの新田と名が付く場所が生まれましたが、
それらの新田を取りまとめる施設が「会所」というものでした。

農民から小作料を徴収して幕府へ年貢を納めることはもとより、
新田の区域に建つ家や水路、橋などの維持補修も行っていたようです。

IMG_6383-001.JPG
鴻池新田会所

八尾市の山本は住友家が経営する山本新田会所がありました。
江戸時代が終わると新田は住宅地へと変貌していきます。

余談ですが、近鉄電車の山本-高安に急カーブがあります。
当初の計画では八尾から斜めに堅下方向へ抜けるはずだったので
計画通りならば急カーブは存在してなかったことになります。

なぜ、こうなってしまったのか。
計画予定地での反対運動もあったようですが、
山本の住宅開発は大軌(近鉄)が関わっていたことが大きいようです。
まあ、売れ行きは鉄道があるとないとでは大違いですもんね。

それはそうと、旧河川上に建つ家では、
穴を少し掘るだけで水が湧き出てくることがあります。
子供の頃、砂場で遊んでいると水が滲みだしてきたりして、
湿気が混じった砂で団子などを作って遊んだものです。

なお、山本住宅地について貴重な論文がありました。
気になる方は是非アクセスしてみてください。

戦前期 における郊外住宅地開発 と私鉄の戦略
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhg1948/55/5/55_5_492/_pdf

大阪府八尾市の河内山本住宅地における近年の変容
https://www.jstage.jst.go.jp/article/hgeog/2018/0/2018_28/_pdf/-char/ja




   


posted by にゃおすけ at 09:03 | Comment(4) | いろいろ考察 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

布施からそのまま国分まで中河内一直線やったら?
いや〜おもしろい!
八尾駅ももっちょっと南?信貴山線は八尾から分岐してた?関西本線と長く並走?

しかし山本の高級住宅街は無かったでしょうね。
ここほんまに河内か?くらいの豪邸揃い〜のとこ
Posted by キョウダイ at 2021年05月12日 14:42
>キョウダイさま

いろいろ想像すると面白いですね。
そのようなルートだと関西線と並行するわけで
阪神間の鉄道ばりにデッドヒートがあったかもしれませんね。
Posted by にゃおすけ at 2021年05月12日 15:12


長瀬川両岸も段差がのこってます。弥刀あたりも。
直線であったなら、俊徳道〜久宝寺口を高架出来てれば、より一層の高速ダイヤ組めたかもです。
Posted by キョウダイ at 2021年05月14日 09:41
>キョウダイさま

長瀬川にも玉串川と同様な段差が残ってますよね。
広範囲なだけに他にもいろいろありそうです。

旧大和川は天井川だったので
土地を整地するにも大変だったでしょうね。
Posted by にゃおすけ at 2021年05月14日 10:07
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