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新年歩き始め。
今回は防寒グッズとして耳当てを準備しました。
これには娘も喜んでくれたようで、
いつもは寝起きの時は不機嫌になるのですが、
文句一つなく楽しそうに出発準備をし始めます。
おかげで難なく近鉄特急に間に合うことができました。
前回のゴール地点でタッチしてスタートします。
この日の気温は1月にも関わらず10度以上ある陽気でした。
耳当ての効果を発揮するのは次回以降になってしまいましたが、
ずっと道中で付けていたのでよっぽど嬉しかったのでしょう。
しばらくして、旧道の調査をしていると
「にゃおすけさんですか?」と声がかかりました。
この方も東海道をバスではあるものの今まさに攻略中の方で、
Twitterを通しての出会いに娘も驚いていた様子でした。
石薬師宿。
格子戸を備えた町家が点在する鄙びた雰囲気の宿場町です。
突然、娘が「ハート!」「ハート!」と言ってきます。
最初は何かさっぱりわからなかったのですが・・・。
なんと、屋根の影がハートではありませんか!
大人だとなかなか気づけないことが子供の良さといいますか、
一緒に歩いていてとても新鮮な気持ちにさせてくれます。
自分なりに楽しむ方法を見つけて歩いているのでしょう。
お昼はラーメン山岡家で頂きました。
出来る限りチェーン店は避けてはいたのですが、
行程的に難しい時があるのは悩ましいところです。
ここでちょっとしたハプニング。
話しながら食べてるとラーメンに腕を付けちゃったのです。
被害は大したことなかったのですが予備の服に着替えさせました。
子連れの旅は予備は重要ですね。持ってて安心です。
杖衝坂。
日本武尊が極度の疲労で腰の剣を杖にして登ったという急坂です。
遠くに四日市のコンビナートが見えました。
箱根、鈴鹿の次ぐらいの坂の難所に数えられる程で、
今回は西からなので下り坂でしたが逆からだと大変そうです。
そういう場所なので途中に立派な休憩所がありました。
のぼりには「にゅうどうくん」が描かれてました。
娘は思わず「あー!」とビックリした様子。
実は以前”ゆるキャラグランプリ”で会っていたのです。
もう2年ぐらい前なので3歳の時だったと思いますが、
よく覚えていたなと私も驚いてしまいました。
内部の町並みを経て日永追分へ。
ここは伊勢方面への分岐する場所でもあって、
伊勢神宮二の鳥居がそびえ立っています。
江戸時代は相当な数の人々が通っていたと見え、
広告塔的存在の道標や常夜灯はどれも立派なものです。
追分から暫くの旧道は交通量が多めでした。
おそらく国道の抜け道になってるのでしょうが、
歩道の塗分けがあっても離合する車で意味を成していません。
街道歩きでは時おりこのような場所を通ることがありますが、
子供と歩いているのでいつも以上に気を使いました。
現代の街道歩きの難所と言っても良いでしょう。
日永神社。
ここには日永追分にあった旧道標が移設されています。
かなりの年代もので文字が読みづらくなっていますが、
東海道の中で一番古い道標になるそうです。
ふむふむと興味深く境内を歩いている時の娘は、
持参したミニチェアーで参道で休憩していました。
まあ、これで良いと思います。
休憩してる時はきっと何かを考えてたと思いますし、
自分なりの街道の楽しみ方。これでいいのです。
やがてゴールの四日市宿。
この地方の交通、物資集積の中心地である場所で
地名は毎月4日を市の初日としたところからきています。
大きな「にゅうどうくん」が出迎えてくれました。
夕食に名物「トンテキ」を頂いてから帰路へ。
今回は前回の歩きから半月開いたこともあってか、
私も娘もゴール時にはクタクタになっていました。
やはり脚力は継続がものをいいますね。