今回は実際に歩いてからの感想です。
●歩き始めれば
1日目は三条大橋から山科までの7kmの行程。
この距離でも最後まで歩けるか不安でしたが、
娘は楽しみを見つけながら歩いていました。
時には、私を置きざりにして走ったり、
”どんぐり拾い”や”だるまさんが転んだ”をしたり。
行程に余裕があったからこそ出来た楽しみ方で
私も娘を見守るように歩けて楽しいひとときでした。

あと、見る視点が違うのも面白かった点でした。
これは仲間内で歩いても
人それぞれの視点が違って面白いものですが、
親と子のように歳が随分と離れている場合だと、
全く予想外のものに気付かせてくれます。
なので、すでに踏破実績のある私でも
初めて歩く街道の如く新鮮な感覚で歩くことができました。
このような散歩スタイルでの街道歩きは
ブレることなくゴールまで続いていくこととなります。
●初めての雨天
天気予報を見て晴れの日を選んでいましたが、
急な天候悪化に備えて常に雨具は持って歩きました。
娘にはカッパと小さな傘を準備していました。
これは普段の町中と同じではあるのですが、
問題は靴です。
大人なら避ける水たまりも楽しそうに入っていきます。
注意しても一向に収まる気配がありません。
もちろん、靴はズブ濡れに・・・。
テンションだだ下がりです。

水たまりの楽しさはわからんでもないですが、
その日のゴールまで濡れた靴で歩くのは大変です。
後日、子供用の防水靴を買うことにしました。
少し値が張りましたがウォーキング用だったので、
雨の日でなくても東海道歩きでの定番靴となりました。
娘も”歩きのプロの靴!!”と満足気(笑
これをキッカケに他の街道装備も揃えていくことになり、
街道ガール化に拍車がかかってゆくのでした。
●宿泊の大変さ
大阪から遠方になると1泊行程が増えました。
翌日に備えて宿では20時に寝るようにしていたのですが、
寝るまでには風呂と夕食も済ませねばいけないので、
一人歩きの時と比べると時間に追われていました。

例えば、お風呂。
大浴場のあるホテルなら一緒に入れてマシですが、
ユニットバスだと娘を先に洗って出したあとに、
次は私の番。一気に出来ないのは大変でした。
風呂からあがっても髪の毛をドライヤーで乾かして、
寝れば布団からはみ出てないか心配で心配で・・・。
とにかく風邪をひかせてはならないと、
気になって気になって常に眠りは浅い状態でした。
そんな心配する私をよそに、
娘はホテルの点数を毎回つけてました。
ロフトのあったホテルは100点!な具合に(笑
●天気予報にヤキモキ
宿泊を伴わない近場では問題なかったのですが、
ホテルや新幹線が必要になってくるようになると、
1週間前から天気予報をチェックする日々が続きました。
このヤキモキ感を少しでも減らす方法として、
歩く日を東海道の進捗に合わせて3つ程考えておいて、
宿もそれぞれ予約しておくことにしました。
例えば、1か月後に袋井を通過することがわかると、
3(土)と10(土)と17(土)の宿を押さえておきます。
決行するかどうかは週末の天気を木曜に見て決めるのです。
この方法は当日や前日キャンセルできる宿に限られるので、
豪華な宿に泊まれないのが唯一の欠点ではあるのですが、
親子の旅ですしビジホで十分ではありました。

新幹線の予約についてはエクスプレス予約を使いました。
出発まで座席を選び放題で本数も多いので楽でしたが、
2022年10月からの旅行割が始まると旅行客が増えたので、
席が殆んど埋まってる列車が増えたのには想定外でした。
●休憩時間を少なくする技
ダラダラと続く上り坂や暑い時は、
みるみるうちに体力が消耗していくもので、
娘も「休憩をしたい!」と言う回数が増えました。
当初はその度におやつ休憩をして誤魔化していたのですが、
これではいくら時間に余裕があっても厳しいもので、
予定したゴールに辿り着けるかも怪しくなってきます。
結局、あらかじめ休憩ポイントを決めておくことにし、
「ここまで歩いたら休憩だよ」と目標を立てることで
休憩をある程度コントロールすることができました。

滋賀県内では子供用のミニチェアーが活躍しました。
地べたの石に座ることに抵抗があった初期の話で、
座る場所を探す手間を省けたのは良かったのですが、
一度座ってしまうと休憩が長くなり過ぎたのが問題でした。
そういうこともあって、
三重県内でお役御免となったのですが、
代わりとなる休憩場所となったのが私の肩車でした。
肩車の利点は娘が私の肩で座っている時でも
私が歩くことで進み続けることができる点です。
我ながらGoodアイデア!!と思ったものでしたが、
2022年4月ごろから肩を痛めてしまいます。
医者曰く「肩車やりすぎ!禁止!」となりました(汗
●嫌!!もう行きたくない!!
岡崎付近だった頃。
ついに恐れていたことが起こります。
朝早いから行きたくない!と布団で泣き叫ぶ始末。
とはいえ、一旦家を出ればいつも通りなのですが
これでは街道歩きがトラウマになってしまいます。
これはマズイ・・・。
と、中止も考えたほどでしたが、
娘がハマっていたスタンプラリーにヒントを得て
「とうかいどうポイントカード」を作ってみました。

各宿場を通過したらご褒美がもらえるというもので、
娘にとって大きな原動力になりました。
ちなみに、日本橋ゴールはディズニーチケットでした。
箱根などの難所でもちょっとしたご褒美を用意しました。
今思えば、甘やかしすぎだったかもしれないですが、
踏破できたことを考えると安いものだったと思います。
●Twitterなどの応援
いろんな場所で出会いがありました。
娘効果なのか行く先々で声をかけられて、
1人旅では想像できない人とのふれあいがありました。
歩いてる時はTwitterで呟いていましたが、
それを見た方が途中で待っていてくれたりして、
「父ちゃん有名人なの!?」と娘に驚かれたりもしました。

その中でも、印象的だったのは
同時期に東海道を娘さんと歩いてる方とのすれ違いでした。
単に「すれ違い」と言っても簡単なものではなく、
まず、お互い別の場所から出立してなくていけません。
私共も日本橋スタートだったらすれ違えなかったわけで
この時、改めて三条大橋からの出立で良かったと思いました。
そして、すれ違えるであろう日が近づいてくると
お互い連絡しあって行程を調整するようにはしたのですが、
いくら調整しても天候や電車の遅れなど運に左右されます。
何よりこのご時世ですしお互いの体調も絡んできます。
ようするに私と私の娘、相手方の父親、娘さん。
この4人の体調が万全でなくてはならないわけです。
それだけに無事上手くすれ違えて良い思い出になりました。
そういえば、東海道は西から歩くのと東から歩くのとでは
どちらが楽なのかと聞かれることがよくあります。
私は断然「西から」と考えています。
・難所の鈴鹿峠は片峠
・小夜の中山などの難所も西からだと緩やか
・疲れの出る午後に太陽を背に歩ける
おかげで顔の日焼けは少なく済んだ気がします。
●箱根などの難所
難所であっても意外とスムーズでした。
これは1日あたりの距離をセーブしていたので、
終始、散歩感覚で歩けたことが大きいと思っています。
石畳ではアトラクション感覚で歩いていましたし、
遊びながらだったので楽しかったのでしょう。

しかしながら、距離をセーブして歩くということは
イコール、旅費の増加につながってきます。
・娘が楽しんでくれるのが良いのか
・節約してハードに攻めていけばいいのか
なかなか難しい問題ではありますが、
私的には前者にしておいてよかったと思います。
●1番大変だったこと
それは、列車での娘の座席確保でした。
これは幼児なので無料であるが故の悩みでありました。
あとは宿の調整。これも同様の理由です。
いくら添い寝無料といっても
ベット幅120pでは寝るのが大変です。
160pあれば安心ですが理想はツインですね。
歩く距離に関してですが、
娘に「10kmまで!」と言われてました。
でも、駅などの都合で毎度のようには厳しいもので
時には計画上で既に15qとなってることもありました。
勿論、このことは娘にはナイショで
「寄り道したから長くなっちゃったーてへ❤️」で
うまく最後まで誤魔化すことが出来ました(笑

あと、食事の苦労でしょうか。
元々、好き嫌いが激しい娘でしたので、
名物をスルーすることがあったのは残念でした。
うなぎは結局3回食べましたが完食までいかずで・・・。
一方、和菓子類は大好物になったように思います。
以上で娘との東海道五十三次日記は終わりですが、
一番良かったことは娘との時間を楽しめたことでしょう。
いくら子供と接する時間が多いと自負する親でも
朝から晩まで何かを一緒に連続してする機会はそうないですし、
それを40日も続けられて、かけがえのない日々となりました。
娘との濃い時間をありがとう!東海道!!
最後までご覧いただきありがとうございました。