2023年04月24日

長崎街道その16・諫早→井樋ノ尾峠→肥前古賀駅

しばらくは諫早市街地が続きますが、
後半は峠越えなど懐かしい風景に出会ます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

永昌宿で別ルートである"多良海道"と合流すると
進路を西へと大きく変えます。

午後に西向きに歩くことは辛いものです。
9月下旬にも関わらず30度越えの道中となってしまい、
真夏かのように少し進めば休憩を繰り返しました。

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この辺りは明治の地図によれば松並木があったようです。
今も松並木があれば少しは楽に進めたのでしょうが、
やはり影がないと過酷度は増しますね。

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今昔マップより

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ここは島原城からの道との追分。
どことなく昔の追分の雰囲気が漂います。

ここで言う島原道は下の図で薄い赤線(一部)を現します。
一方、赤線はというと長崎と島原を結ぶメインの道筋です。

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この辺りの道筋は非常に複雑ですね。
ちなみに島原は熊本に渡る船があったことから、
肥後、薩摩への絶好の近道になっていました。

複雑になっているのは多数の人が通るので
城下を迂回させたい思惑があったのかもしれません。

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お馬の水。

この辺りからアップダウンが多くなってくるので
馬にとって恵の水だったことでしょう。

諫早インター付近にかけての旧道は、
工業団地が建設されていて消滅箇所が多めです。

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こういう場所でも昭和40年代の航空写真を見てみると、
開発以前の旧道がくっきりと確認することが出来ます。
消滅箇所は迂回する必要がありますが写真のおかげで、
昔の道筋に近い場所を歩けるのは有難いことです。

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貝津橋を渡った先にあった貝津茶屋跡。
諫早方面の眺めが良いものでした。

たんたんと新興住宅地の中を進んでいくと、
いきなり江戸時代を彷彿させる光景が出現しました。

赤松坂です。

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距離は短いですが昔ながらの道筋です。
石が敷き詰められています。

赤松坂の由来は入口付近に松の大木があったからで
名残の松なのか傍らに若い松が植えられています。

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ちなみに坂の中間は幅広になっています。
これは荷車同士の離合を考えてのものだったそうです。

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トンネルに描かれた長崎街道の絵図。

こういう演出は嬉しいですね。
今までの道中が走馬灯のように蘇ります。

いよいよ山深くなってきて旧茶屋地区へ。
県道沿いには松が植えられ暑さを和らげてくれます。

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この右手に写る井戸の辺りが上の茶屋の跡。
何やら坂本龍馬も休んだという話があるそうです。

殿様が休んだのは下の茶屋で別の場所にありました。

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久山の一里塚。現存です。

ふと、ここで疑問。
佐賀県内を歩いた時は長崎街道で現存なのは
神崎付近の1か所しかないと現地の案内板にありました。
でも、実際は彼杵のも含めると3か所になるんですよね。

長崎街道は比較的大きいほうの街道ですし、
このような間違いはあまりないと思うのですが、
基準が町によって違うということかもしれませんね。

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それはともかくとして、
久山一里塚は今も塚の周りに石を積んで保護してあって、
往時の一里塚の様子がわかる貴重なものです。

各地にあった一里塚も石を積んだ例があったのですが、
石の大きさを見ると使いやすい漬物石サイズなことで、
明治になると家に持ち去る人が多かったといいます。

久山の一里塚は山奥だったことが幸いしたのでしょう。

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群境石。
長崎県内では丁寧に色付けされたものを見かけました。

下の写真は清水神宮の湧水。
古くから枯れることなく今も冷たい水が湧き出ています。

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この付近は井樋ノ尾峠と呼ばれる山間の道。
眺めが良い場所には茶屋が点在してました。

遠くには大村湾が見え、さらに奥に見えるのが大村城下。

長崎街道が海を大きく迂回してる様子がよくわかります。

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こちらも茶屋の跡。
建物は古いものなので江戸期のものでしょうか。

やがて、住宅地が見えてくれば古賀の集落に入ります。

古賀には藤棚茶屋跡がありました。
今も当時の面影が色濃く残っていますが、
茶屋で休む人を相手に人形を売ったところ人気になり、
やがて古賀人形として有名になっていきます。

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この地蔵には以下の話があります。

ある女性が川で洗濯していた時のこと、
戦いに赴く兵団の長に合戦場への距離を聞かれます。
「3町ほど」と言ったところ「3里」と聞き間違えてしまい、
そのまま進んだところ当然ながら敗退してしまいます。

敗走中に戻ってくると女性がまだ洗濯中だったので
速攻、打ち首に。それから人魂が出るようになったそうです。

うーん、さぞ女性は無念だったでしょうね。

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この日は肥前古賀駅付近で終えることにしました。





posted by にゃおすけ at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 長崎街道 | 更新情報をチェックする
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