2023年06月07日

長崎街道その18・日見宿→長崎出島&総括

さぁ、長崎街道最終回! 

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

長崎を目の前にして日見峠が立ち塞がります。

標高は250m程度ながらも日見側は特に険しく
高低差のある九十九折が連続しているのです。

まさにラスボス的存在・・・。

この難所は近代になっても厳しいものがあって
新技術が開発される度に新道が作られてきました。
大正、昭和、平成に掘られた立派なトンネルを見てると
各時代の技術の発展具合がわかります。

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今昔マップより

上の明治時代の地図を見ると
蛇のようなヘアピンカーブがわかると思います。

1.8kmの道のりに13ヶ所も曲がりくねる様は、
全国的に見てもそう多くはないものです。

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こういった峠道では生活上の不便さから
標高が高くなるにつれ民家が減っていくものですが、
ここではかなり上になっても相変わらず多く見かけます。

平地が少ない長崎ならではの光景でしょうか。

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大正のトンネル坑口まで到達すると
江戸道は舗装路から草道へと変わります。
少し藪化していて一見すると登山道のようですが、
そこは元は街道。急登という程ではありません。

比較的なだらかで歩きやすいのは
多くの人や物が行き交っていた証拠でもあります。

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しばらく登れば日見峠です。

この舗装された峠は明治になって掘り下げられたもので
車両を通すために切通しに改造されています。

こういう事例は他でもあるのですが、
日見峠での工事は殊の外大掛かりだったようで、
工費がかさみ有料道路(明治道)として開通しています。

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一方、元々あった峠はというと、
明治道のさらに上に登った場所にありました。

ちょうど日見関番所が建っていた辺りですが、
敷地の半分は明治道建設の際に削られています。

ちなみに峠から先の道筋は
明治道を交差するような形で下っていました。
この廃道区間の詳細はヤマレコ記録で紹介しています。

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ようやく、長崎の町が見えました。
正面の山は稲佐山です。夜景の名所ですね。

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峠といえば茶屋ですが
長崎側に一軒、日見峠に一軒、
そして、矢上側に二軒あったといいます。

下の写真は新茶屋と呼ばれた場所で
藤棚のある絶好の休憩場だったと思われます。

そうそう、この辺りの道は舗装されてますが、
剥がせば昔の石畳が眠っていると話に聞きました。

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標高が下がると一気に市街地の様相に。

この辺りは開発された歴史が古く、
河内高部ダム付近は長崎の水源にもなっています。

完成は明治24年と随分と昔なので
元々の街道の道筋は今や知る由もありません。
おそらくは池の底を通っていたものと思うのですが。

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やがて、蛍茶屋。
長崎電気軌道(電車)の電停がある場所です。

明治の地図を見ると今とは違って家が殆んどありません。
かつての蛍茶屋はその名の通り蛍の名所で茶屋がありました。

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言わば、市民の憩いの場でもあった場所でしたが、
一方で長崎から旅立つ人にとっては別れの場でもあって、
蛍茶屋まで見送りに来る人も多かったといいます。

ちなみに、傍らに架かる一ノ瀬橋は1653年のもの。
一度も崩落がない優れものです。

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しばらくは車道と離れた旧道が続きます。
小さな川にも石橋が架かっていて見逃せないです。

やはり、長崎といえば坂、石橋です。

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通称シーボルト通りと名付けられた通りに
「長崎街道ここに始まる」の碑がありました。

ここから先が長崎市中という意味になります。

ここでゴールでも良かったのですが
長崎街道歩きのゴールとしては中途半端で悩みました。
道路元標がある旧県庁前で終えようとも考えたのですが
せっかくなので出島まで歩くことにしました。

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諏訪神社を過ぎれば一気にビルが立ち並びます。

驚いたことに交差点ごとに案内看板があり、
「ここは昔は●●だった」と的な説明があります。

こういう説明があると全く印象が違ってきますね。
一見すると普通の都市の町並みに見えても、
長崎は歴史が詰まっていることを実感できます。

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県庁前を過ぎると出島まであと僅か。
道路元標がある場所は元は長崎奉行所でした。

そして近年復活したという出島の橋を渡り、
念願の長崎街道完歩となりました。

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さいごに、完歩しての感想を少し。

江戸から西に向かって12年かけて歩いてきましたが、
今回の完歩はいつもと違う感慨深さがあったと同時に、
これで一区切りつけたという安心感がありました。

長崎街道は面白味という意味では、
五街道にもひけをとらないものがあると思います。
シュガーロード、シーボルト、坂本龍馬などの幕末の志士、
象やキリスト教など関連する史跡が多く楽しいものでした。

また、沿道の自治体の熱意は相当なものを感じました。
街道は長距離であるほど複数の自治体に跨るものですが、
熱の入れ方の違いが歩いてるとよくわかります。

でも、長崎街道はどこも同じ熱の入れように驚きました。

その一つに案内看板の多さ、
そして、パンフレットなどPRが活発ということでしょうか。

これもあったからこそ
充実した楽しい歩きが出来たものと思います。

と、いろいろ伝えたいことがありますが、
長崎街道には大きなポテンシャルを感じます。
なにせ、九州を代表する街道ですもんね。
今後とも注目していきたい街道です。




   
posted by にゃおすけ at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 長崎街道 | 更新情報をチェックする
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