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長崎を目の前にして日見峠が立ち塞がります。
標高は250m程度ながらも日見側は特に険しく
高低差のある九十九折が連続しているのです。
まさにラスボス的存在・・・。
この難所は近代になっても厳しいものがあって
新技術が開発される度に新道が作られてきました。
大正、昭和、平成に掘られた立派なトンネルを見てると
各時代の技術の発展具合がわかります。

今昔マップより
上の明治時代の地図を見ると
蛇のようなヘアピンカーブがわかると思います。
1.8kmの道のりに13ヶ所も曲がりくねる様は、
全国的に見てもそう多くはないものです。


こういった峠道では生活上の不便さから
標高が高くなるにつれ民家が減っていくものですが、
ここではかなり上になっても相変わらず多く見かけます。
平地が少ない長崎ならではの光景でしょうか。


大正のトンネル坑口まで到達すると
江戸道は舗装路から草道へと変わります。
少し藪化していて一見すると登山道のようですが、
そこは元は街道。急登という程ではありません。
比較的なだらかで歩きやすいのは
多くの人や物が行き交っていた証拠でもあります。


しばらく登れば日見峠です。
この舗装された峠は明治になって掘り下げられたもので
車両を通すために切通しに改造されています。
こういう事例は他でもあるのですが、
日見峠での工事は殊の外大掛かりだったようで、
工費がかさみ有料道路(明治道)として開通しています。


一方、元々あった峠はというと、
明治道のさらに上に登った場所にありました。
ちょうど日見関番所が建っていた辺りですが、
敷地の半分は明治道建設の際に削られています。
ちなみに峠から先の道筋は
明治道を交差するような形で下っていました。
この廃道区間の詳細はヤマレコ記録で紹介しています。


ようやく、長崎の町が見えました。
正面の山は稲佐山です。夜景の名所ですね。


峠といえば茶屋ですが
長崎側に一軒、日見峠に一軒、
そして、矢上側に二軒あったといいます。
下の写真は新茶屋と呼ばれた場所で
藤棚のある絶好の休憩場だったと思われます。
そうそう、この辺りの道は舗装されてますが、
剥がせば昔の石畳が眠っていると話に聞きました。


標高が下がると一気に市街地の様相に。
この辺りは開発された歴史が古く、
河内高部ダム付近は長崎の水源にもなっています。
完成は明治24年と随分と昔なので
元々の街道の道筋は今や知る由もありません。
おそらくは池の底を通っていたものと思うのですが。



やがて、蛍茶屋。
長崎電気軌道(電車)の電停がある場所です。
明治の地図を見ると今とは違って家が殆んどありません。
かつての蛍茶屋はその名の通り蛍の名所で茶屋がありました。



言わば、市民の憩いの場でもあった場所でしたが、
一方で長崎から旅立つ人にとっては別れの場でもあって、
蛍茶屋まで見送りに来る人も多かったといいます。
ちなみに、傍らに架かる一ノ瀬橋は1653年のもの。
一度も崩落がない優れものです。


しばらくは車道と離れた旧道が続きます。
小さな川にも石橋が架かっていて見逃せないです。
やはり、長崎といえば坂、石橋です。


通称シーボルト通りと名付けられた通りに
「長崎街道ここに始まる」の碑がありました。
ここから先が長崎市中という意味になります。
ここでゴールでも良かったのですが
長崎街道歩きのゴールとしては中途半端で悩みました。
道路元標がある旧県庁前で終えようとも考えたのですが
せっかくなので出島まで歩くことにしました。


諏訪神社を過ぎれば一気にビルが立ち並びます。
驚いたことに交差点ごとに案内看板があり、
「ここは昔は●●だった」と的な説明があります。
こういう説明があると全く印象が違ってきますね。
一見すると普通の都市の町並みに見えても、
長崎は歴史が詰まっていることを実感できます。


県庁前を過ぎると出島まであと僅か。
道路元標がある場所は元は長崎奉行所でした。
そして近年復活したという出島の橋を渡り、
念願の長崎街道完歩となりました。

さいごに、完歩しての感想を少し。
江戸から西に向かって12年かけて歩いてきましたが、
今回の完歩はいつもと違う感慨深さがあったと同時に、
これで一区切りつけたという安心感がありました。
長崎街道は面白味という意味では、
五街道にもひけをとらないものがあると思います。
シュガーロード、シーボルト、坂本龍馬などの幕末の志士、
象やキリスト教など関連する史跡が多く楽しいものでした。
また、沿道の自治体の熱意は相当なものを感じました。
街道は長距離であるほど複数の自治体に跨るものですが、
熱の入れ方の違いが歩いてるとよくわかります。
でも、長崎街道はどこも同じ熱の入れように驚きました。
その一つに案内看板の多さ、
そして、パンフレットなどPRが活発ということでしょうか。
これもあったからこそ
充実した楽しい歩きが出来たものと思います。
と、いろいろ伝えたいことがありますが、
長崎街道には大きなポテンシャルを感じます。
なにせ、九州を代表する街道ですもんね。
今後とも注目していきたい街道です。