大きな峠がないことから主に物流輸送に重宝されて
中山道のバイパスとしての役割がありました。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
今回は久しぶりの単独での街道歩きでしたが
東海道で娘と一緒に歩くことに慣れてしまったせいか、
のびのびできた反面、寂しくもありました。
帰ってから娘に話をしてみると、
意外にも行きたかった反応が返ってきましたが
季節と若干距離が長い点でバテていただろうし、
暑い時期となるとなかなか悩ましい問題です。

さて、出立の地は米原駅。
駅の周辺は昔は琵琶湖の湊だったことから、
街道筋と比べて低い位置にあります。
北國街道の宿場町だった米原宿は
往時を偲ばせる町並みが残っています。

米原は今も昔も交通の要衝であることから
個人的にはなかなか魅力的な町に映るのですが、
彦根や長浜という人気観光地がすぐ横にありますし、
米原を観光客が訪れるのは少ないのかもしれません。


北國街道と深坂道との追分。
道標、旅館、丸ポストと豪華3点セットがありました。
右 中山道
左 北國街道
弘化3年製の立派なものです。

ここから先の深坂道は若干の勾配を経て、
緩やかな下り坂で中山道番場宿へと向かっていきます。

この緩やかな坂であることが、
中山道のバイパスであった所以でして、
多くの物資は米原湊で船に積み替えて大津に向かったそうです。
一方で人間はそのまま中山道を通るのが一般的で
擂鉢峠を経て鳥居本や高宮へ陸路を進んでいました。

深坂道のピークといえる場所には
両脇に明治期ごろに作られた思われる石積みがあります。
おそらく他の峠と同じように
車が通れるよう少し掘り下げられたものに見えるので
元々の峠は石積みの上部あたりだったのかもしれませんね。


視界が開けると突き当りに番場宿が見えてきました。
そして雄大な伊吹山も見えてきました。
深坂道は番場宿の手前で一部消滅しています。
下の指先道標が立っている場所は
明治にできた明治道の追分の地で間違いありません。


では、江戸時代の追分はどこだったのでしょう。
有難いことに五街道の中山道には
詳細な絵図「分間延絵図」があるので一目瞭然です。


ここがその追分だったと思われる場所。
蓮華寺の参道のほぼ向かい側にあたります。
一見、何気ない住宅の脇道に見えるのですが、
絵図では昔の道として記されてるのが面白いところです。
ちなみにこの追分付近の旧道はほぼ消滅しています。


中山道番場宿。
鎌倉時代からあった東山道宿場は山間の静かな風情でした。
番場宿といえば番場忠太郎です。
この銅像(台座より上の部分)は一見新しく見えますが、
実は年代もので近年発見されたものを設置したそうです。

深坂道は番場宿で終わりですが、
この日は醒ヶ井で「さわやかウォーキング」があるので
中山道を歩いて受付の醒ヶ井駅へと向かいました。

中山道区間は一度歩いてるだけあって
結構記憶に残ってるもので懐かしい気持ちになります。
この時期の醒ヶ井といえば梅花藻です。
これを見に訪れる人も結構いるそうですね。

なんとも可愛い綺麗な花。
湧水の水に映えまくっていました。
中山道 醒井宿は湧水の町。
水に癒され疲れが吹き飛びました。
この日の気温は全国的に30度越えが多かったみたいですが、
醒ヶ井では27度ぐらいと良い気候に恵まれました。

渓流に廃屋が良い感じ。そして涼しい!

こんな感じで集団で歩いてると100キロウォークを思い出します。
でも殺伐さは全くない。皆さんのんびり。
これがさわやかウォーキングの良さなんでしょうね。
そんなこんなで目的地の養鱒場に到着です。


明治初期からある養鱒場。
池の配置など昔とほとんど変わってないのが魅力です。
これは古い絵図を見れば一目瞭然ですね。
釣った魚は塩焼きにしてくれます。
釣代150円+焼き代200円+魚代(g)200円。合計550円。
釣る楽しみがある分、安いほうなのかも?

養鱒場で食べた塩焼きは最高でした!
ただ、食べ過ぎてしまったせいか
そのあとの喉の渇きが大変で・・・。
熱中症対策で水分の補給はきっちりしていたのですが、
ウロコも全部食べたのが余分だったかもしれません。
まぁ、歩きではほどほどにが肝心ですね。


松尾寺を見学して駅まで戻ってゴールとなりました。
さわやかウォーキングのコース設定は10q程度が多いので
物足りない人は今回のように近くの街道合わせるなどして
工夫して歩くとより満足感があるかもしれませんね。
結局、この日は20キロほど歩くことができました。
また機会あれば参加してゆきたいと思います。
帰りはグリーンポイントで新幹線グリーン車で。
Ambitious Japanの聞き納めができました。
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