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寒い寒い!
冬の寒さがやってきました。
風が強くなかなか思うように進みません。
「こりゃ○○が歩いたら飛ばされるで!」
注・5歳次女の名前が入ります
娘もまだ7歳なのに妹の心配ばかりしています。
街道歩きの靴は防水仕様。水たまりも負けない!!
思えば、これほどの寒さの中を歩いたのは
一昨年の東海道鈴鹿峠だったように思います。
防寒グッズはネックウォーマや手袋などは以前と同じですが
今となってはそれぞれ随分と小さくなったと感じます。
これも成長の証しといったところでしょうか。
さっそく片埜神社で休憩。
秋の深まりを感じつつ菊をバックに撮影しました。
娘は今日もご機嫌のようです。
蹲(つくばい)などに一之宮の表記がありましたが
河内国の一之宮は枚岡神社ですしあれ?となりました。
恐らく交野地域の中での一之宮の意味なのでしょうね。
街道歩き気持ちェェェ〜!
冬の街道歩きは防寒さえしっかりしておけば大丈夫なので
夏に比べると随分楽かななんて思います。
娘も急に走り出したりして
久しぶりの街道を満喫しているようでした。
(寒いから走って温まりたかったのでしょう)
片埜神社への大阪側の入り口にあった立派な常夜灯。
昔は街道を歩いての参拝が一般的でしたから、
こんな場所が入り口だったの?と驚くことがありますが、
古い地図を見れば一目瞭然。導線が面白いようにわかります。
京阪特急×娘×京阪快急のコラボが実現!
私「ザクロだ!」
娘「なにそれ!」
そう言うのも無理もないでしょう。
私も数十年食べていません(久しぶりに食べてみたい)
それにしても、風が強く落ち葉が舞う道中。
これが小雨でも降っていたら大変なことになっていました。
明治国道2号線の標柱がありました。
現代の2号線というとは大阪から下関ですが
当時は東京から大阪を指していました。
驚くのはこれが立っていた場所。
なんと京阪電車の踏切内にあったのです。
移設した痕跡があるとはいえ
京阪電車の開通前からのものなので感慨深いものがあります。
椅子を見つけては休憩が欠かせません。
私「ちゃっちゃと歩いて早く終わらせたほうがいいよ」
と言うのですが、それには耳を貸さず、
娘は寒くてものんびりと行きたい派みたいです。
枚方宿は淀川水運の港でも栄えた町。
今も立派な旧家が多いように思います。
枚方というと菊なだけあって、
家々の軒先に飾られる様子に目を楽しませてくれます。
道路元標らしきものに座る。座り心地がいいらしい(汗
枚方橋の跡や宗左の辻の道標といい、
駅のそばなのに遺構が残してくれてるのは有難いですよね。
おそらく多くの人にとって素通りされるもの。
気づかないものなのでしょうけど・・・。
あと、枚方宿内の街道はカラー舗装されているのもGood。
東海道を観光資源としているようにも見え嬉しく思いました。
「あれ階段やん!」
不思議な階段のようにも見える建物に
私も娘もぼーっと眺めておりました。
有名なかき氷屋さん。
さすがにこの日はお客は疎らでした。
人気店なだけに私も入るか悩みましたが
街道歩き中の無茶はやめておいたほうが良いでしょう。
この道標は向きが逆ですね。
移設するときに撤去されるものが多い中で
今もこうして残されていることを喜ぶべきかもしれません。
まぁ、でも、せっかく残ってるのだから
正確な向きにと思うのですけどね…^^;
くらわんか船の鍵屋を見学しました。
本日は関西文化の日で無料!
前回に引き続き娘のラッキーガールぶり発揮です(笑
「これ何?なんでこうなってるん?」と興味津々。
くつろぎすぎやで(笑
いやぁ、堪能できました。
鍵屋から先の光善寺までの区間は
堤防沿いと内陸を通る2つのルートがあったのですが、
ここは迷わず安全な後者を選びました。
ちなみに分間延絵図では堤防沿いが太く描かれています。
立派な光善寺をバックに。
この場所は出口という地域で
京都と大阪のちょうど中間地点にあたります。
この先は長い長い淀川の堤防上を歩くことになりますが
あと残り2回なだけに楽しんでいきたいと思います。
おまけ。
これは手を洗おうと近づいたけど
水がなかったので呆然とする様子。
反応がいろいろ面白い(笑