そこには交通費、宿泊無料と甘い言葉が書いてあって、
こりゃ旅気分で働ける!と喜んだものでした。
ところが蓋を開けてみると、まさかの連日4:20出勤。
その時間に出勤することを「シニマル」と呼びましたが、
名前のとおり死ぬほどシンドイ時もありました。
車掌は新島々車庫の片隅にあった寮で暮らします。
プレハブの2階建ての中にタコ部屋が10ほどありました。
部屋には鍵がなく、プライバシーは何もありません。
「○○く〜ん、あっさですよ〜」
出勤時間に出勤できなかった人がいるものなら
事務所から直通のスピーカーで叩きおこされています。
JR宿舎にあるようなタイマー付き布団があれば良いのですが、
このスピーカーによってみんな起きてしまいます(涙
一番の繁忙期には3:50出勤なんてのもありました。
いずれの時間もバス発車の30分前から準備しないといけません。
新島々の広い車庫
まず最初の準備は乗務車両に乗り込んで軽く清掃して
前面の窓にクリンビューという曇り止めを施します。
これをしっかりしないと運転手によっては機嫌を損ねます。
特に1日中ペアで乗務することが多い沢渡ピストン系統では
その日1日を気持ちよく過ごす為の重要な作業でした。
ちなみにピストンとは沢渡の駐車場対応輸送のことで、
これとは別に本線というのが新島々-上高地がありました。
車掌は法令で決められた区間だけ必要とされたので
それ以外の区間が多い本線では全区間乗る必要はなく、
中の湯-上高地だけ乗るということもよくありました。
国道158号はうねうね道
さぁ、バスの発車時刻が近づいてきました。
車掌は後部ドアの前に立って改札をします。
早朝は重いザックを背負った登山客が列をなしています。
バスの座席は横6列シート(補助席を含む)なので
ザックの置き場は最後部座席が基本となっていました。
ザック係が別にいることもあったのですが、
車掌も手が空いていたら手伝うのが一つの仕事でした。
朝の荷物はこれから登るので皆さん綺麗なものですが、
問題は帰り。香ばしい汗の臭いが染みついています。
これはまあ仕方ないことではありますが、
時には強烈な異臭を放つものもあったりして、
登山とは過酷なものなんだと学生ながら思ったものです。
出発すれば車掌は終点まで前で立っているのが基本で
案内放送や切符の集札、発行などするわけです。
でも、都会のように頻繁に乗客が乗ってこないので
何もなければ暇で暇で当然ながら眠気を催してきます。
隣で頑張ってる運転手の傍らで寝るわけにはいかず、
必死に耐える苦行が大変でした。
松電ロッジのある上高地バスターミナル
上高地に着けば朝飯タイム。
終われば次の乗務までバスの後部座席で爆睡です。
これがなんとも気持ち良いもので・・・(笑
おかげでその後の乗務は快調でした。
ちなみに上高地の朝食というものは
テーブルの中央に納豆が入ったどんぶりが置かれ、
味噌汁、ご飯、野沢菜といった感じだったでしょうか。
私は関西人なので納豆の臭いに毎度苦労してましたが、
納豆を美味しそうにシェアして食べている姿を見て、
バイトを卒業する頃には大好物になっていました。
お昼は10時半ごろから始まってた記憶があります。
(朝4時台から働いてると時間の感覚が狂っています)
ただし、ゆっくり食べれたのは11時台ぐらいまでで、
12時台になると下山便が頻発していくので大変でした。
なのですぐに食べれるようカレーが多かったと思います。
料金はいずれも100円でした。
ここで1日の客層の流れをまとめておきます。
・早朝の新島々→上高地 登山客
・9時〜10時台沢渡→上高地 日帰り客(軽装)
・13時すぎから日帰り客が帰り始める
・14時台から登山客の下山が多くなる
・16時台になると疎らになってくる(時期による)
・17時台は本線とピストンの混乗で混むことも
上高地では車掌も構内放送をしたり、
並んでいる列を整理したりと昼からは忙しかったです。
バイトながらも社員と同じ制服、制帽なのも嬉しいことで、
波寄せる客への対応もやりやすかったように思います。
特に14時-15時台は下山のピークだったのですが、
釜トンの信号の関係でバスがなかなか到着しないのはザラで
客の行列が河童橋まで連なることもありました。
そういう状態でバスが到着するものだから、
バスに向けられる視線はまるで羨望の眼差しのようで、
なんとも嬉しい感覚で作業したのが忘れられません。
(お客にとっちゃ早く乗せろ的な感じなんでしょうけど)
あと、忘れてはならないのが清算業務です。
車内で売っていた車内補充券は確か1つが2枚組になっていて
まとめて2枚を一気にバチン(入鋏)する必要がありました。
1枚はお客に領収書代わりの切符を渡して、
もう1枚(白券)は会社に収めるというのが決まりで、
白券を失くさないよう乗務が終わったらすぐに
忙しい時でも事務所で清算するのが基本でした。
もし、白券を失くしてしまったら一大事です。
切符を発行すればお金をお客から頂くわけですが、
わざと白券を失くしたように嘘をつけば会社には分からず
いとも簡単にネコババし放題ってなことになります。
もちろん私はそういうことはしていません(笑
まぁ、バレたらバレたで警察沙汰になってしまうので、
白券の扱いは細心の注意を払っていた記憶があります。
ウネウネ道で帰る
さて、1日も終わりに近づいてきました。
16時にもなると新島々に続々とバスが帰ってきます。
次の日の乗務は帰ってきた順に始まるのが基本でしたが
中にはわざと途中でコーヒー飲んだり道草などをして
時間調整をする運転手もいたように思います(笑
今だったらコンピュータ管理になるのでしょうけど、
当時は良くも悪くものんびりした時代でしたね。
最後はバスの車内を清掃して日報を書いて終わり。
ちなみに清掃は回送で帰ってくる時は車内でやってました。
客がいないので暴走気味に走るバスの中でです。
これも今じゃちょっと考えられないですよね。
以上、1日の業務の流れを簡単に書いてみました。
私は大学の長期休みを利用しましたが、
きっかけは運送業に興味があって旅好きであったことで
毎度休みになれば松電でのバイトに精を出してました。
そもそも、こういうバイトは
こういうのが好きで応募するとは思うのですが、
中には高収入だけが目的だった人はすぐやめてた気がします。
極端な早寝早起きってのはやっぱりハードですし。
稼ぎはというと食費は1食100円でしたし、
新島々周辺には娯楽が少なかったこともあって、
貯まる一方で結構稼げたほうだったと思います。
たまに乗鞍高原や諏訪に温泉に入りに行ったり飯を食べたり、
「松電です」と言えば格安で利用できたりして助かりました。
そして次の日のことを考えて21時頃には就寝。
なんとも健康的な生活でもありました。
またこういうバイトやってみたいものですが
どこかないもんですかねー?
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コメントありがとうございます。
昭和61年というと私が働いていた10年程前になりますね!
当時の道路事情はさらに大変だったことでしょうね。
平湯BTの温泉は折り返し時にたまに利用していました。
濃飛さん側のエリアにあった施設もいろいろ懐かしいです。
神の湯は1度だけ、荒神の湯、新穂高の湯は数回ほどでしたが、
中でも新穂高の湯は混浴だけあって刺激的でした(笑
今思えば休みの日にそちらの観光も沢山しておくべきでした。
頃合いを見てまた出かけてみたいと思います。