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残すところ2回となった東海道歩き。
今回の区間は淀川の堤防上を歩くことが多いので
ある意味どうしようか悩んだ区間でもありました。
風がキツければ吹きっさらしで逃げ場もなく、
雨が降ってくるものなら修行でしかありません。
とはいえ、天気予報を見ておけば解決するものなので
小春日和を狙って3月の中旬に歩くことにしました。

光善寺の辺りは古い雰囲気が良く残っています。
私「この辺り蔵がいっぱいやな」
娘「くら寿司のくらやんな?」
私「するどい。意味は同じやわ😁」
いつも通りたわいのない話をしながらの道中。
気温が低いのでモコモコファッションですが、
太陽が出ているのでとても心地良い感じです。
花粉も少なく快調!快調!


すぐに淀川土手へと入ります。
しばらく川沿いに進むことになるのですが、
東海道って川を横切ることは多くても
川沿いとなると意外と少ないので貴重です。
娘は堤防ならではのものを早速発見。
「ここで休憩するわ」
と、椅子に見立てて座っております。


淀川の堤防の脇には碑が多いので注目です。
これは赤井堤の碑で明治18年6月の大洪水での決壊地点。
他にも茨田堤の碑、二十箇用水樋記念碑とあるのですが、
それらは地域への水路目的のものだったりと
淀川と密接に関わっている重要なモニュメントです。
私はこういうのが好きなので楽しめるのですが、
娘にとっての長く続く堤防沿いの区間というのは、
殺風景な景色が延々なので苦痛かもしれません。
苦痛だと距離が短くても長く感じるものです。
これが冒頭に書いた今回の区間の悩みの一つで、
いかに対処していくかが攻略の鍵でした。
ところが!!
娘が良いものを発見します。
それがツクシです。

街道歩きは一転してツクシ採り会場に!
周りを見ると採ってる年寄り衆が何人もいます。
やはり春は良いですね。こういう楽しみがある。
こうして堤防区間の難所を乗り切ることが出来まして、
レジ袋いっぱいのツクシに満足するのでした。


遠くを見ると大阪市内。
ゴールが近いことを親子どもども実感します。
今の淀川はスーパー堤防となっていて
眺めが非常に良いのが利点ではありますね。
千里のほうを見ると万博公園の観覧車も見えます。
この淀川の堤防は昔はそれほどの高さはなくて、
古い時代のものは殆ど埋まってしまっているようです。
そういう中でも痕跡がある場所があったりするので
それを見つけながらというのが楽しいものです。


例えば、この堤防の脇にあった小道。
昔の図と合わせてみると旧堤防の上っ面らしいのです。

そして、旧家が建っている横の通路を見ると、
物凄い高低差となっているのがわかります。
おそらくこれが旧堤防の痕跡なのでしょうね。
スーパー堤防化にめげずに残った昔の痕跡。
旧家があったり大きな古い大木があったりと、
昔を偲ぶには十分すぎるほど面白さがありました。


一方、娘はというと相変わらずツクシ採りに夢中。
私「休憩せんでええの?」
娘「ツクシ採りで休憩してるねん」
え?それって休憩なん?(笑
娘は気づけばもうすぐ8歳。随分体力がついてきました。
5歳秋に始めた東海道歩きですが当初は休憩ばかりでした。
公園があればブランコで遊びながらだったのですが、
今はそれもスルーなのである意味成長を感じます。
休憩したいと言ってくる回数も驚くほど減りました。
これは大きくなった喜びでもあるのですけど、
どこか寂しい気持ちもあったりします。
もうあの頃の街道歩きには戻れないんだと。

ようやく長かった淀川区間が終わり、
一気に都会っぽくなった町へと入っていきます。
一里塚跡の辺りで娘が遠くにマクドの看板を見つけます。
「マクドや!」「マクドあるで!!」
お昼時だしお腹が減ってきていたのでしょう。
きっと頭の中はマクドでいっぱいだったと思います。


やがて旧家が程よく残る守口宿。
都会の中の宿場町を感じた一角がありました。
文禄堤の上に出来た宿場町は
他の宿場とは違い独特なものを感じます。
脇道を見れば見事な高低差に娘もビックリ。


餃子の王将で完歩ぃ!(マクドやなくてごめん)
次回はいよいよラスト。
大阪の高麗橋を目指します。