●1日目 桑名宿→長島→佐屋宿
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
先日の東海道五十七次でゴール高麗橋に無事に到達。
ただし、七里の渡し区間では電車でワープしているので
東京-大阪を全て歩き切ったということにはなりません。
これではお友達に説明しても拍が付かない!
そこで七里の渡し区間にある佐屋街道を歩いて、
東京-大阪を完全なる完歩を目指すという作戦です。
五月晴れとなった桑名の渡し場。
前回は2022年1月の大雪の日だったので
同じ場所でも随分と印象が違って見えます。
さっそく六華園で休憩。
鹿鳴館に似た重厚な作りに癒されました。
ここで佐屋街道を整理しておきますと、
桑名と宮の間は一般的に七里の渡しがありましたが、
七里となると28kmなので結構な船旅です。
船が苦手な人は佐屋街道で迂回も多かったのですが
ここにも木曾三川を越える渡しがあるんですよね。
いわゆる三里の渡しです。
えー、結局は船に乗るの!?な感じですが、
七里の渡しが海を進むのに対して川を進むので
揺れ具合など全然違うものだったと想像できます。
そんな三里の渡しですが川砂の堆積が問題で
晩年は思うように航行できなかったと聞きます。
背後に長大河川を見てご機嫌ポーズ
今回の1日目はまさに三里の渡しの区間です。
道が存在しなかったのでルートはどこでも良いのですが、
折角ならと旧道がある場所はそこを選んで歩くことにしました。
現代の難所と言うべき揖斐長良川橋梁。
薄い鉄板が敷かれただけの狭い歩道部分は、
所々でネジが外れていたりと劣化が直に見て取れます。
眼下を見ると足が竦むぐらいの怖さもあって、
何かが縮んだ思いです(汗
娘はというと意外と余裕。
川を見て魚を監視するのは相変わらずです(笑
対岸は長島という地域。
木曽三川の堤防に囲まれていることから、
洪水対策の仕組みがあちこちで見られます。
いわゆる輪中と呼ばれるものですね。
今や”なばなの里”などのレジャーで人気ですが、
水害の度に不死鳥のように蘇ってきたことは
相当な苦労もあったことでしょう。
と、ここで昼食タイム。
どさんこラーメンに入りました。
お子様セットお菓子付きを頼んだら
なんということでしょう。1箱丸ごとでした。
これで850円。
普通の味噌ラーメン780円より高いだなんて(汗
娘「えー、食べきれないよ」
その後のお菓子をリュックにどうしまうか
悩みまくったのは言うまでもありません(笑
さすがは長島。一向宗の立派なお寺が目立ちます。
旧道には古い道標も立っていて雰囲気も良しです。
「前ケ須 津島 宮 名古屋道」と見えます。
もちろん我々は津島方面へ。
木曽川を昭和8年供用の尾張大橋で渡って
長大橋梁との恐怖はこれで終わりとなりました。
それにしても今も国道1号の現役の橋とは恐れ入ります。
暑さを忘れる心地よいJRガード下で休憩タイム。
ここで今回のファッションアイテムを紹介しましょう。
まず、サングラス。ええ、100均のです。
「全然まぶしくなーい!快適!」
「いくら歩いても全然つかれなーい!」
私が「今5kmぐらい歩いてるよ」と言うと、
「え?2kmぐらいやと思っていたわ!」と娘。
100円でも効果絶大です(笑
あと、今回は初日だけリュックを背負ってもらいました。
中身は扇風機やタオル、そしてお菓子....。
ふと娘が草を2本拾ってきて
「父ちゃん!対戦しよう!」と言ってきます。
2本重ねて切れたほうが負けという遊び。
名前はなんだったか忘れましたが、
小学校で教えてもらったのでしょう。
ゆったり行程だからこそできる遊べる余裕。
娘とのふれ合いは楽しいひとときです。
思わず東京タワー!と喜ぶ娘。
やがて1日目のゴール佐屋宿へ。
最盛期には旅籠が31軒建ち並んでいたそうです。
今回、名古屋駅前に宿を取ったのですが、
夕食は折角ならと地元のものを味わいたいもので、
途中の枇杷島に聖地があったので寄ることにしました。
その聖地とは「COCO壱番屋の創業店」
娘にとってはただのカレー屋に見えるでしょうけど、
若いころに1300gを挑戦した身でもあったので、
私はやや興奮気味。いつも以上に美味しく頂けました。
2日目は津島界隈の道中となります。