火除けのまじないの意味を持った愛宕さん。
火災がひとたび起これば大火となりえただけに
当時の人々にとって大切なものでした。
その総本宮が京都市の北西部にあります。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
標高1000mある総本宮へは多くのルートがあります。
その最もメジャーなのは清滝からの表参道。
丁石や石仏などが置かれ茶屋の跡もあったりして、
歴史を実に感じることが出来るルートといえます。
入口の清滝は避暑地として古くから賑わいがありました。
今も茶屋や旅館があって
往時の賑わいを感じさせるものがあります。
戦前は東の比叡山と並んでリゾート開発の計画があって、
ケーブルカー、遊園地、スキー場、食堂などが作られ
既に無きものばかりですが勢いがありました。
こちらは愛宕ケーブル山上駅の跡。
2階はハイカラな洋風食堂だったそうです。
昭和4年開業したもの戦時の不要不急線となり、
止む無く昭和19年に廃止となってしまいます。
いわゆる愛宕山鉄道で索道と鉄道線がありました。
柱の鉄筋が剥き出しとなっていて、
天井からは水滴がしたたり落ちています。
現状を保ってるのはそう長くはないでしょう。
表参道は標高差があるので、
今もケーブルカーがあれば超絶便利だったはずです。
一方でケーブルカーが開通したことによって、
表参道にあった茶屋は客が来なくなってしまい
廃業や移転を強いられた歴史も忘れてはなりません。
ちなみに山上駅にあった食堂も茶屋からの移転でした。
今回、愛宕山に登ったきっかけは
先日のバス祭りにおいて無料券をgetしたからでした。
使用できるバス路線は八木駅からなので、
裏参道と言われた樒原口からのルートとなります。
丹波・丹後・摂津国からの利用に便利だったそうです。
終点である原バス停付近の鳥居前。
かつては茶屋や旅籠、酒屋があって賑わったといいますが、
どこか懐かしさを感じる静かな山村の光景が広がっています。
ここから登る人は今の時代は少ないようで、
バスの中では私1人といった状況でした。
表参道に比べると楽に登れるはずなのに・・・どうして?
と、不思議でしたが恐らくは交通費的な問題なのでしょうか。
標高500mから登れることは利点だと思うのですけどねー。
登山道自体は若干荒れている場所もありましたが、
4WDの車も通るみたいでコンクリの路盤もあったりと
広くて実に歩きやすい快適なものでした。
スキー場跡付近からは低木が増えてきて、
標高が高いことを実感させられます。
地蔵型道標。
不思議なことに入口からここまで石仏を見かけませんでした。
表参道にあるような丁石もなかったですし・・・。
でも、こうして古いものがあるのは
歴史がある証拠で嬉しくなっちゃいますね。
やがて愛宕山神社。なんと気温は14℃。
この日の下界は32℃はあったので天然のクーラーです。
ここまで急登もありましたが一気に汗が引きます。
常夜灯がずらっと並ぶ姿は圧巻です。
小じんまりしたものが多いのは高所だからなのでしょうか。
歴史ある参詣道らしい佇まいを感じます。
「伊勢に七度、熊野に三度、愛宕さんには月参り」
京の人々にとって身近な存在だったのが和歌を見てもわかります。
まぁ、伊勢に七度とか当時としてはほぼ無理なので、
この文句はいわゆる”たとえ”と見るべきで
信心はどんなに深くしても限りはないことのようです。
表参道では多くの人とすれ違いましたが、
海外の人を全く見かけなかったのは不思議でした。
もちろん偶々かもしれませんがある程度の装備が必要ですし、
行きたくても気軽には来れないのかもしれません。
昨今の海外の人で溢れかえる京都を見ると、
ある意味貴重な空間でありました。
今回、久々の単独での山行きでしたが
やはり、街道歩きと違う面白さがありますね。
次は鳥居本と一の鳥居も含めての愛宕詣もしたいものです。
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コメントありがとうございます。
ここは比較的アクセスがしやすいにも関わらず、
立ち入り制限はされてないように見えました。
落書きがされてないのは高所であったり、
愛宕さんの山中だからなのでしょうかね。
この駅舎に限らず他の線路部分もそうですが、
自然に帰る雰囲気に良いものを感じました。