●3日目 大治→万場宿→岩塚宿→金山追分→宮宿
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
早朝の名鉄バスターミナル付近。
この日は天気が崩れる予報だったので
予定より2時間早めに歩くことにしたのです。
ある意味ラッキーだったのは
人気のナナちゃんに誰もいなかったことでしょうか。
ポーズを決めて写真撮りまくったりと娘は大喜びでした。
スタート地点で何かに食いついてる様子。
見るとダンゴムシと遊んでました(汗
そういや初期の頃も遊んでいたっけ・・・。
娘との街道歩きは今回で一旦区切ることにしたので、
今まで歩いた懐かしい思い出がよぎってきます。
「村雲婦人会発会式の記念碑やで」と教えると
スラスラ読める様子に感心してる様子でした。
やはり脇街道なので東海道とは違って、
道標や宿場など案内が少ないのは致し方ないところです。
「ここが宿場町です!」的な看板があれば良いのですが、
痕跡を探しながら歩くというのも楽しいものです。
万場宿。万場の渡しを前にした宿場町。
名古屋市内とは思えない静かな空間が広がっていました。
通りを眺めると奥に三重塔が見えて風情があります。
ここの見どころの一つが覚王院にある「乳の木」
実を食べたら乳が出るようになったと話があるのですが、
娘はどこにあるの?と必死に探している様子。
私も探したものの見つからずで・・・。
結局、木の皮が白い木がそれかなと。
娘「白いのがミルクやねんな?」
娘「ここに住んでる人は牛乳いらんのとちゃう?」
まぁ、想像するのは良いことです(笑
万場宿の外れには庄内川が流れていて
ここは渇水期でも徒歩渡り禁止となっていました。
この秋葉神社の灯篭は元は渡し場にあったもの。
秋葉さんは火の神様でもあるので大火にならぬよう
宿場の出入り口に祀られることが多いですね。
そんなこんなで昔の痕跡を探していると、
娘は階段で腰を下ろして休憩しておりました。
連日の歩きでお疲れモードなのかな?
対岸にある岩塚宿は隣の万場宿と近いことで
半月毎に宿場機能が入れ替わる特殊な宿場町でした。
岩塚の地名のいわれは七所神社にある古墳群。
そして日本武尊腰掛岩もその一つです。
由来となる場所は面白いものがありますね。
しかしそんなに古い歴史のある場所だったとは。
ここから金山の追分までは一本道。
ゴールが近づいてきました。
公園で遊ぶことは娘にとっては大事な休憩。
大きな山に登頂しようと頑張る姿がありました。
でも、傾斜がキツクて思うように登れません・・・。
勢いつけて3度目のチャレンジでなんとか登頂。
でも、それ休憩ちゃうやろ(笑
娘にとって歩きとは別腹みたいです。
五女子のバス停で他の女子と並んでいる様子。
他に四女子や二女子という地名があるのですが、
豪族の7人娘の嫁ぎ先に名前を付けたのが由来のようです。
尾頭橋のサインがなんとも立派!
ここの角にある不朽園さんで最中を頂きました。
街道を歩くようになってから
娘の和菓子好きはどんどん拍車がかかっています。
いつしか拘りも持つようになってきていて
いつも食べてる”みむろ”(三輪の名物)と違って
「皮がゴツイな!」と感想を述べる始末です。
佐屋街道の起点にきてん。完歩!
ここ金山で佐屋街道は終わりですが
宮宿までは美濃路を少し歩いて東海道と繋げました。
娘は既に達成した感がある顔をしております(笑
熱田神宮の横を通過。
あと少しで終わってしまう・・・(涙
ついに宮宿。目標達成です!
無事、東京-大阪を徒歩で繋ぐことが出来ました。
5歳から始めた娘の街道歩きは今回で一旦区切ることにしまして、
いつになるかわかりませんが自ら歩きたいとなった時に
再び一緒に街道を歩ければと思う次第です。
約3年間の街道歩き道中は毎回新鮮なことばかりでした。
今回も早歩きで長い区間を歩けたという発見がありましたし、
休憩も私から休憩しようと言うまでしないという
体力的な面での成長を随分と感じることができました。
恐らくこれからも私が計画すれば歩いてくれると思いますが、
街道歩きは歩くだけでなく計画段階から始まっていますので、
次は計画から考えて欲しいというのが親心でしょうか。
もちろん、街道を歩くことで得られる知識は多いですが、
敷かれたレールを歩くだけでは限界があるかなと感じます。
そこで、次回あるとするならば
もう少し街道や歴史の知識を身に着けてからのほうが
娘のためになるのではと思うところです。
果たしてそういう時が来るでしょうか?
とりあえず楽しみに待ってみようと思います。
宮きしめんで完歩ぃ!格別な味でした!