かつては北前船も寄港し賑わいました。

同じ兵庫県にある網干と比べると
シンボル的な建物は少ない印象ですが、
海と陸を繋ぐ拠点だった点で違う良さがあります。

上の写真は梅ヶ枝湯さん。
今も現役のレトロなお風呂屋さんです。
煙突を含めての側面から撮る構図が有名ですが、
正面の古びた感じもまた良きものです。

この周辺にはスナックが多く建ち並んでいます。
高砂の周囲は工業地帯で高い煙突が多いですが、
そこで働いてる方の憩いの場だったのかもしれませんね。

旧国鉄高砂線の高砂駅前。
晩年は殆ど旅客列車はなかったそうです。
駅前には立派なアーケードの構えがありました。
天幕は相当な年季が入っているように見えますし、
汽車を下りた多くの人が利用していたと思われます。


十輪寺。
空海による開創と伝えられる古寺。
現在の本堂は1693年のものだそうです。
下の地図を見てみますと
お寺と高砂の町とは水路で隔たれています。
これほどのお寺が町の中心でないのが少し不思議です。


ここから高砂の中心部に入っていきましょう。
上の洋館は魚町倶楽部。
明治時代に建てられた木造のもので
当時の浪漫あふれるお屋敷の雰囲気が漂います。
元は三菱製紙の外国人技師のために建てられたのだとか。
普段は公開されてないのですが、
年に一度万灯祭りの時は中に入れると聞きました。



立派な三十蔵。
そして旧高砂銀行本店の銀行建築。
メインストリートも見所がたくさん。

ブライダル都市高砂と書かれたアーチも立派です。
でも、はて?ブライダル?となったのですが、
結婚式やめでたいとき謡われる、
「たかさごやこの浦舟に…」ではじまる謡曲「高砂」と
平和と長寿の象徴である「尉と姥」のいわれの発祥の地。
(高砂市ホームページより)
なるほど、めでたい町だったわけですね。


工楽松右衛門旧宅の舟板塀は圧巻でした。
ここは中を見学することも出来て、
高砂の歴史を学ぶことができました。
湊の遺構も目の前に広がっています。


高砂神社(高砂城跡)にも寄ってから帰路へ。
途中の喫茶店ではアーモンドトーストを頂きました。
最後に感想として。
高砂はコンパクトな中に見所が多くて、
徒歩でも小時間で楽しめるのが良いところです。
観光施設は少なく知名度も低いからか
一般の観光客は少ないながらもレトロ好きには人気で
訪問した日も何人もの同業者が楽しまれていました。

こういう場所はGWとかの連休でも
比較的空いている印象があります。
なので、そういう時に行こうと温めていたのですが
行きたい衝動には耐え切れず普通の土曜の訪問となりました。


そういえば駅への帰り道で
気になったのはサンモールの存在でした。
かつて大賑わいだった地域のショッピングセンターが
負の遺産となって解体されずに一部だけ残っていました。
人々で賑わっていたであろう空間だけに、
今の静けさは対照的で時間が止まってるかのようです。
昭和の晩年に作られたモールとはどんなものだったのか。
令和のモールとは違う何かを感じれる貴重な空間と思いました。
【カテゴリ:近畿ボラボラ_兵庫の関連記事】