そのうち一つが金光教のもので金光への列車でした。
そんな金光には今も古き良きものが残ってると聞き、
早朝の静けさのあるうちに訪れたのでした。

その門前に広がる町並み。
戦前のものと思われる3階建てのコンクリ建築や
古い洋館などがあって散策を飽きさせません。


正門へと続く僅か50mほどのアーケードには
かなり古い店構えながらも今も商品を売るお店や、
20年前ぐらいの価格設定で頑張る喫茶があって、
少し前の懐かしさを感じれる良さがありました。


宗教都市というと天理が有名ですが、
金光は本部こそ宗教的な雰囲気があっても、
町中には宗教ちっくな建物は少ないのが意外でした。
あるのは金と書かれた提灯が家々にあったぐらいです。
さて、金光の次は玉島へと向かいました。
当初は鉄道とバスを乗り継いでいく予定でしたが、
地図を見ると直線距離で5kmほどしかありません。
しかも玉島往還という街道も記されていたので、
期待しつつ歩くことにしました。


あとで、玉島の観光案内人に聞いたのですが、
金光にある金光高校の生徒は自転車で通ってるとのこと。
バスの本数は少ないですしそのほうが便利なのでしょう。
それはともかく、玉島に近づくにつれ、
なまこ壁のある伝統的な建築が増えてきました。


玉島は重伝建こそ指定されてませんが、
町並み保存地区として数カ所あるようです。
その一つが仲買町といわれる地区。
狭い通路の両側に古い建物がひしめき合っています。
歴史ある紙問屋が今も営業していたり、
住友肥料の懐かしい看板がある家があったりと
どれも特長的で実に見ごたえがあります。

玉島の特筆すべき点は
江戸時代初期の干拓から賑わいが出始め、
川の真ん中に島のような堤防を築いて、
その上を港として発展させたところでしょう。
他にも備中松山藩の外港的な役割や、
北前船の寄港地としての賑わいもありました。

その堤防上に作られた町並みは
新町と呼ばれ今は保存地区になっています。
玉島往還に沿った狭い範囲なのが特長的で
立派な商家や近代建築が今も軒を連ねています。

古い地図を見るとその様子は明らかで、
なぜこのような堤防上に設けたのか謎ではありますが、
他の町並みにはない珍しい例ではないでしょうか。
ちなみに玉島の由来はいくつか説があるのですが、
干拓以前の風情は島が点々とあるように見え、
その多島美が玉のようというのが有力なのだそうです。
瀬戸内ならではの情景が目に浮かびます。
その中でも玉島は際立った情景だったのでしょう。


今の羽黒神社は元は阿弥陀山という小高い丘で、
玉島の賑わいはそれを中心に発展していったそうです。
この頃はまだ新町地区がない時代です。

玉島ではイベントが第二日曜に定期的にあるようです。
この日は屋台が出たりとプチお祭り状態でした。
普段は殆ど人がいないというのは案内所のお話。
写真を撮るには少し苦労する面があるのですが、
逆に人を入れた構図は活気が出て面白いものです。
何より子供たちをよく見かけることもできて、
活気のある昭和の町を見ているようでした。
こういう適度な規模のイベントは良いですね。


同じ倉敷市には有名な美観地区がありますが、
玉島は観光地化をそれ程してないのは好感がもてます。
町中での買い物も実にリーズナブル。
お土産に木村屋のバナナロールと、
やまとのあずきを買って帰ることにしました。

そうそう、玉島で忘れてはいけないのがドラム缶橋。
昔でいう舟橋みたいな構造をしていて、
ドラムの錆具合といい昭和感満載な橋なのです。
渡ってみると浮遊感が半端なく、
なんとなく癖になりそうな感じで、
子供のように何度も渡ってしまいました。
玉島からは新倉敷まで歩きで北上。
旧街道沿いには小さな川が流れていて、
かつては高瀬舟が往来していたことを感じつつ、
また再訪してみたいと思うのでした。
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