2025年09月23日

江戸に鮎鮨を運ぶ 岐阜街道その1・清州→笠松

長良川の鵜飼いで取れた鮎を鮎鮨にして
江戸の将軍家に献上するために運ばれた街道で、
「御鮨街道」とも「鮎鮨街道」とも呼ばれてました。
また、岐阜と名古屋を結ぶ役割もありました。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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岐阜街道は美濃路との四ツ谷追分から始まります。
御鮨を運ぶことを考えると岐阜から歩くと良いのですが、
当ブログでは、その辺りはあまり気にしません。
差しあたっては「届けた後の帰り道」です(^^;

追分100m手前には「左 京都」と書かれた
文政年間の道標が移設されて立っています。
この時代に「都」表示はちょっと珍しいですよね。

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GWの混雑とは無縁の街道歩き。
心地よい気候とともに懐かしい風景を堪能。

この辺りは昔も田畑が広がっていたみたいで、
炎天下だと歩くには非常に堪える区間です。
そのため、松並木が植えられていました。

松並木は植えたら植えっぱなしではなく、
維持していく必要があるので経費が掛かります。
この点からも岐阜街道の重要さがわかります。

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道路の片側の舗装が剥がれて路盤が剥き出しに。

「ひゃっほー、江戸時代の道が出てる!」

と、喜んではいけません。
大抵は土砂が堆積して地中深くの位置だったりします。
なので、工事とかで道路を掘り下げて見えてると
昔の路盤が露わになってたりするので面白いものです。

やがて、最初の宿場の一宮宿へと入ってきました。
古くは鎌倉街道、美濃路や巡見道が通る交通の要衝で、
街道沿いの村々には市が立ち、大いに賑わったそうです。
河川を利用して運ぶ物資や人の流れもありました。

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その中心というべき場所にあるのが「真清田神社」
尾張国一宮です。一宮は熱田神宮ではないのです。
格式的には上なんですが不思議ですよね。

門前では3と8の付く日に開かれてた「三八市」が
享保年間から戦後すぐまで続いていました。
その賑わいは遠くは信州や越中商人も訪れるほどで、
今も市の面影を商店街に見ることができます。
この日は大きな祭りがあって、相当な賑わいでした。

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奥にあるウバ車屋、懐かしいですね。
東海地方には木の網で組んだ乳母車を見かけましたが、
今の時代はめっきり見なくなってしまいました。

赤ちゃんはベビーカーという時代なので、
需要そのものが無くなったのは寂しいところですが、
役目を終えた乳母車は、畑仕事の荷物移動に使ったり、
手押し車的に使ってる人が僅かながらいます。

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ノコギリ屋根の工場の跡でしょうか。

一宮は空襲の被害が大きかったところで
古い建物は中心部に殆どないのが寂しいですが、
少し離れれば散見することができました。

さぁ、次なる宿場は黒田宿です。
集落の入口に立派な愛宕さんが置かれています。
火除けの神として宿場の出入口にあることが多いですが、
これがあるのは規模が大きい証拠。期待が膨らみます。

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黒田宿は古くから宿場として発展し、
木曽川水運の物流の拠点でもありました。
山内一豊の生誕地としても知られています。

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写真の木曽川資料館は大正13年築。
木曽川町会の議事堂として建てられています。
隣には今は亡き庁舎があったのですが、
議事堂が庁舎内に併設していない&現存の事例は
全国的に極めて珍しいものなのだそうです。

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黒田宿を過ぎると木曽川を渡りますが、
川の手前にある、この分岐。非常に悩みました。
双方とも道の先で追分道標に繋がりますが、
左は急な勾配で、右は緩やかな勾配という道。

ただ、右は明治初期の地図には載っていません。
恐らく右の道は車を通すための新道と思いますが、
そうだとすると追分道標の位置が悩ましいのです。

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彫の深い立派な道標。津島の文字が見えます。
道標は街道と街道の分岐にあるものなので、
設置場所を考えると、右が正解ではあるのですが、
前述の通り昔の地図には右の道が無いのですよね…。

しかしながら、
道標の土台を見ると移設した形跡があるので、
結論として左の道が正解と私は考えました。
そうなると本来の追分は20m程、清州方というわけです。

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木曽川を前にした風情は良いですね。
明治天皇巡幸の際は川に舟橋が架けられています。

この先が宝江の渡し場の跡で、
その手前には川原町が形成されていたそうです。

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木曽川橋は1937年(昭和12年)に竣工。
1964年に歩道橋が併設されています。

車を気にせず安全に歩けるのは良いのですが、
川面からの高さがあるので下を覗くと、
何かが上にあがったような感覚に陥ります。

あと、スマホを落とさないかが怖いですね。

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遠くに岐阜城が見えました。
岐阜街道のゴールは城のふもとにあたります。

その2に続きます。




posted by にゃおすけ at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他の街道 | 更新情報をチェックする
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