ミニスカ女子や半袖の若者が多く、
ライブか何かで夜行バス明けと勝手に想像して、
途中の駅で降りていくだろうとふんでたのですが、
驚くことに皆さん終点でバスに乗り換えてました。
まず、ここで30年前との違いを感じましたね。
一方、中高年層は数えるほど。
重いザックを背負った山屋に至っては殆どいない。
なぜ、ここまで客層が変わったか考えてみると、
列車ダイヤが関係してるのではと思ったりします。

かつて、中央線には夜行列車があって、
それを受けての快速が運転されてました。
新島々発の1番のバスは4:50だったと思います。
ピーク時は4:20というのもありました。
そう考えると随分と遅くなりました。
ちなみに松本発5:30の直行バスがありますが、
もしかしたら山屋はそちらを利用してるのか、
それとも、マイカーやタクシー利用になったのか。
首都圏などからの夜行バスも人気ですよね。
いずれにしても土曜、日曜の違いはあるにせよ、
山屋の動向がちょっと気になりました。
とはいえ、30年前においても、
7時台は観光客のほうが多かった記憶があります。
山屋にとって便利な時間でないのは明白です。
さて、今回乗車するにあたって調べると、
予約制になってることに驚きました。
事前に乗る便を指定できるのは有難いですが、
天候を見て前日になって行きたくなった勢は、
利用しずらくなったのではと思ったりします。
ちなみに乗ったバスは2台運行でした。
予約制は入山人数を予測できるのは良いですね。
昔は、松本駅からの電車の車内の様子を見て、
無線で新島々に人数を報告することもあったので
便利な世の中だと隔世の感がしてなりません。

今回はバス好きの友人との旅でしたので、
出来たら最前列を確保したかったわけですが、
これは一本前の列車に乗ることで解決しました。
懐かしい新島々の光景。
大幅にリニューアルされていて、
バスターミナルでの人の導線が変わってました。
電車から降りると即バス停に繋がってる構造です。
前は、改札を出ると土産物屋がある通路を通り、
バスターミナルへと続いていました。
客にとっては遠回りさせられてた感じですが、
当時の導線はこんな感じのが多かったと思います。
ちなみに元土産物屋辺りは待合室と化していました。
もし、今でも土産物屋があれば、
帰りの列車待ちの間が便利なのですが、
近年の状況を見ると現地で買う人が多いようで、
実際、上高地の土産物屋は大盛況のようでした。

発車の20分前まで梓川まで散策して、
八景山の沈下橋を渡ったりして楽しみました。
予想外だったのは接続列車が到着前にも関わらず
乗車の列が出来始めていたことです。
しかも皆一様に若い衆。
一体、どこから沸いてきたのか。

さて、上高地への旅は久しぶりで10年ぶりです。
いつもはマイカーで沢渡乗り継ぎなので、
新島々からのバス利用となると実に30年ぶりです。
バス車掌の時以来なのでテンションがあがりました。
車両はすっかり観光バスタイプに変わっています。
路線バスタイプで走っていた頃が実に懐かしいです。
これも釜トンネルの制限がなくなったからでしょうが、
ハイデッカーのエアサス効きまくりの乗り心地は、
カーブが多い道路なので若干の怖さを感じました。
ま、これは一番前に座ったからでしょうけど、
苦手な人は後ろのほうに座ることをおススメします。
道路事情は随分と改善しつつあって
以前よりは走りやすくなっているのは確かなようです。
ただし、奈川渡ダム手前の道路は相変わらずです。
ダム工事の際に作った低規格のトンネル群は、
ダム完成後に国道へと転用された経緯を持ちます。
1.5車線のように感じる狭い道路幅なので
ハイデッカーの大型車にとって運転が大変そうです。
でもこれも、もうじき新しいトンネルで改善されます。
首都圏と富山方面とを結ぶ最短経路なだけに
これからもどんどん変わっていくのでしょう。

昔と今も変わらない少ない点は、
立ち席なしの定員乗車ということでしょう。
途中からの人の為に補助席があるのは相変わらずで
実際、沢渡から何人か使用されてました。
マイカー勢は沢渡始発からのバスに基本乗るのですが、
新島々系統(本線)のバスにも乗せることがあります。
運転手
「沢渡大橋取れますか?こちら本線○○です」
「補助席○人分空いています」
この無線でのやり取りは変わりませんね。

さぁ、釜トンネルを越えると上高地です。
遊歩道を利用したい人は大正池で降ります。
観光バスタイプなので扉は一カ所しかありません。
なので、降車に時間がかかる感じがしました。
昔の路線バスタイプだと前と後ろに扉があって
前は運転手、後は車掌が切符をもぎ取るので
比較的スムーズに降車出来ていたと思います。
ゆっくりすると後ろのバスが詰まってきますし、
結構アセりながらの作業でした。
実際、今回の帰りのバスでは若干詰まってたので、
繁忙時はどんな感じなのか気になるところです。

大正池から河童橋までは
ゆっくり歩いて1時間ほどです。
これを車内放送で言っていたのが懐かしく、
ほぼ全員の客を大正池で降りるよう促していました。
そうしないと、帰りに大正池から乗るものなら
上高地で既に満席になってるので一向に乗れません。
テクニックで補助席を空けての出発もありましたが、
大正池で待ってる多くの人を見ていると
1時間待ちは平気であったんじゃないでしょうか。
遊歩道はそれほど変わってないですね。
国立公園なので下手に手を入れれないのもありますが、
時間が昔から止まってるような感じがします。
強いていえば、大正池の枯れ木は少なくなりました。
ちなみに、この遊歩道を初めて歩いたのは車掌を引退してから。
お客にはマニュアル通りの案内をしていたわけですが、
実際に歩いていての案内をしていたら違っただろうにと、
今となっては少し悔やんでいます。

圧倒的な流水量にここが標高1500mであることを忘れます。
上高地の賑わいは相変わらずです。
こういう仕事だったので1000回は訪れてることになります。
早朝から何往復もして時間ごとに変わる様子を毎日見ていて
GW頃の雪が沢山ある穂高や、夏前の残雪の姿、秋の紅葉など、
ただし冬は仕事がないので雪景色の経験がありません。
スノーシュー履いていつかはと思ってはいるのですが。
河原に降りて遊んでる若者たち。
周辺を見渡しても若者ばかりな印象を受けます。
インスタ映えとかを狙っての人気なのでしょうか。

ここまでくると
上高地バスターミナル付近はもはや山ではなく
気軽にいける大きな公園な感じでしょうか。
やはりアクセスがよくなったのは一里あると思います。
9月頭の朝は上高地はとても冷えます。
冒頭にも書きましたが半袖姿の若者が多いこと。
雨が降ったり曇ったらどうするレべルです。
忘れてはいけません、ここは標高1500m。
とはいえ、自分も半袖でした (笑
リュックに入れたはずの山用の長袖ジャンバーは
同じ柄の山用の半袖ベストだったのです。
これには、驚きましたね。
でも、天気予報で9時で20℃だったので、
問題ないということでそのまま行きましたが、
天気が悪ければ要らぬ出費が生じていました。

上高地バスターミナルの様子は変わりました。
窓口は女性社員がやさしく対応していて
以前の臨時社員のぶっきらぼうな対応とは大違いです。
(もちろん、きちっとした対応もありましたが)
自販機もデジタル化してて、キャッシュレス決済とか
もはや都会のバスターミナルと変わりません。
あと、変っていたのは、建屋でしょうか。
以前は無機質なコンクリート屋根だったのですが
木材ちっくな山小屋風になっていて
リゾート感がマシマシになってました。

帰りは平湯経由で高山から特急ひだ号で帰りました。
濃飛バスが運営する平湯バスターミナルは
山奥なことを忘れるぐらいの賑わいっぷり。
もちろん時間帯にも寄るのでしょうけども
活き活きしたバスターミナルを久々に見た思いです。
昔はバスターミナル2階に温泉があったのですが、
改装を機になくなってしまったようです。
よく業務中に次のバスまでの間に入ってましたが
今思えば、なんとものんびりした時代でした。
今回はいろんな懐かしさを感じれた良い旅でした。

【カテゴリ:懐かしい記憶の関連記事】


良い写真と文で楽しませて頂きました。文中にありましたように、予約制は便利ですが天気との関係がちょっと気になります。18きっぷも同じくです。この夏、18きっぷの売れ行きはどうだったのでしょうか、それも気になります。
最後の写真、白川茶を売るお茶屋さん、これは何処の街の景色なのでしょうか?平湯?高山?加茂白川?
コメントありがとうございます。
18きっぷは改悪が進みましたから減ったかもしれませんね。
最後の写真は高山の古い町並みです。
相変わらず人多いですけどじっくり回れば古い家も多く、
良いところだと再認識した次第で良かったです。
そう言っていただけて光栄です。
高山は今回は短時間でしたので古川とセットで訪問したいところです。