2026年03月23日

懐かしの南知多、変わったものと変わらないもの

南知多は母の故郷ということで、
子供時代に何度も訪問していました。

春はいちご狩りや潮干狩り、
夏は海水浴といったレジャー地帯ですが、
昔と大きく変わったのは交通体系でしょう。
内海行き特急が頻繁に走っていたのも今や昔。
車でのアクセスが良くなり便利にはなりました。

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南知多ビーチランドは今年で開園45周年。
名前のフォントに時代を感じます。

ここはイルカショーが一番人気。
近年はふれあいイベントが多いみたいで、
イルカのタッチやアザラシタッチなど、
特別料金なしで出来るのは特筆できるものです。

バックヤードツアーは1000円追加が必要ですが、
ウミガメの赤ちゃんを触り放題なのも良いです。

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電鉄系の遊園地は少なくなってきてますが、
施設に古さを感じる部分が多少あっても、
子供の時に遊んだ思い出の地が今もあるのは
やっぱり嬉しくもあり懐かしくもあります。

レジャーの多様化や水族館のライバル出現などで、
ここも一時期は廃園の危機もあったそうです。

たしかに、場所も半島の奥まったところなので、
他府県からの集客は難しい部分もあるのでしょう。
伊勢と師崎を結ぶ伊勢湾フェリーは今やなく、
知多半島観光自体、斜陽化してるのかもしれません。

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南知多の名物と言えば

そういう中でも息巻いているのが、
エビフライで有名なまるはグループでしょうか。
たしか豊浜にあるお店が創業店だったと思いますが、
今や、セントレアなどに支店を出していたり、
いちご農園など多角的に攻めてる印象です。

豊浜だけの頃は混んでいたとしても
まだ他府県からの客は少なかったと思うのですが、
良いものは口コミで広まっていくものですね。

イチゴのデザートは1400円台でしたが、
直でやっているからなのか安く感じました。
大阪で同じ量だと倍はしていたはずで、
誕生日を翌日に控えたムスメも大喜びでした。

そんな南知多ですが歴史を紐解くと、
特に内海は重要な町だったことがわかりました。

その象徴的な施設が
「尾州廻船内海船船主 内田家」です。

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廻船で賑わった町は幾つもあるのですが、
不思議と太平洋側で現存する施設は少ないもので、
規模と格式を備えた貴重な遺構になっています。

内海船は瀬戸内海から江戸までの海域で
最盛期には十艘近くの船を所有していました。

なぜ、豊浜や師崎でなく、内海なのかは、
内田家があった影響がかなりあるのだそうです。
明治期になると、いち早くレジャー開発を手掛け、
サンドスキー場や今の知多バスを作っています。

また、対岸の津藩との関係も多くあったようで、
豊富な資金が内海を潤していたそうです。

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この辺りに多い黒板塀のある町並み。
なんとも風情があって良いものです。

内海は海水浴場が人気で多くの人が訪れます。
前述の通り臨時特急が頻繁に走るほどでしたが、
駅から海岸までの距離は徒歩30分。

真夏に往復1時間も歩くとなると大変で、
客が鉄道から車にシフトしたのも頷けます。
昔ならそれも通用したのでしょうけど・・・。

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海岸近くに駅を作ることも可能だったでしょうが、
当時の名鉄は住宅地開発をするためと息こんでいて、
何もない場所に線路を敷いたと聞いたことがあります。

でも、頼みの綱の住宅地開発はうまくいかず、
どっちつかずな状態で現状を見るに寂しい限りです。

知多新線が開通した時を思い出すと、
毎時2本あった河和行きの特急が内海に半分取られ、
河和民だったので不便になった記憶があって、
とにかく当時の知多新線は活気がありました。
今や、ほぼ普通しか来ないなんて信じられません。

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今回の目的はレジャーと墓参りでしたが、
田舎の家は既に取り壊され更地になっていました。

築100年の古い家だったので、
風呂は木を燃やして入る五右衛門風呂、
そしてトイレは外にありました。
夜は泣きながら行った記憶があります。

そんな思い出のあったトイレなんですが、
これだけポツンと残っていたんですよね。
まるで旧友に会ったような感覚がしました。

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それにしても、村は過疎化が激しいのか
子供の姿はおろか大人の姿もみかけません。

遊園地と称していた公園にあった
地球儀の回転遊具は今も回転ができました。
あと、町並みや風景は、ほぼ昔のまんま。

時間が止まってるー。
都会とは違う時間の流れがあるのでしょう。
寂しく感じる部分はありましたが不思議な空間でした。



    
posted by にゃおすけ at 08:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | 中部ボラボラ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
僕も、南知多は仕事の同僚たちと海の幸を求めての一泊旅行や、ウチの子供を連れてビーチランドに行ったり、今は閉った杉本美術館に行ったり、思い出の多いところです。最初は小学校5年生の夏の「臨海学習」でした。生まれて初めての海でした。野間灯台もいまだに憶えています。ご紹介にあった黒板塀のある民家、今も残っておるのですね。懐かしいです。
Posted by 太郎 at 2026年03月24日 19:03
20歳まで内海に住んでいましたが
先月久しぶりに訪れた際何か昔の雰囲気と違い寂しさを感じました。中学校も廃校統合され子供の人数も減っているようでとても淋しく思いました。常滑市のセントレア方面や東海市の太田川駅周辺が開発が進んでいるようですが何か発展するものが出来ればと思います。
Posted by まさお at 2026年03月24日 22:19
>太郎さん

コメントありがとうございます。
南知多は臨海学習に絶好の場所だったと思います。
自分も初めての海は南知多でしたので良い思い出です。

当時は離岸流の事故があったので
浮き輪に縄を付けられて泳いでいました(^^;

>まさおさん

コメントありがとうございます。
私は河和民でしたので富貴でよく乗換えさせられ、
子供ながらに内海は凄い場所と勝手に思い込んでいました。
そう思うと今の状況はかなり寂しさがありますね。
Posted by にゃおすけ at 2026年03月25日 09:33
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